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「歩きながら考えるー戦争・戦後を起業家として生きた祖父-」

霊視×経営コンサルティングの桜賀和愛美です。

いつもご覧くださいまして、本当にありがとうございます。

 

今回のテーマは

「歩きながら考えるー戦争・戦後を起業家として生きた祖父-」です。

 

本日は終戦記念日。戦争というと何もないところから不動産を立ち上げた祖父の事を思い出しますので、

今回はその話にしたいと思います。

 

祖父は小学校卒、12.3で奉公に出てそれ以来母親とは生き別れ、そして戦争へ行きました。

と言っても、商船の船乗りとして従事していたそうです。

祖父曰く、船の上ではとにかく何でもできなくてはならなかったそうです。

 

何しろ、何日も船の上で男ばっかりで過ごすので、刺繍や裁縫、料理…。とにかく身の回りの全ての事をできるようになったとのこと。

 

確かに。祖父の刺繡を見せてもらったことがあるのですが、毛筆かと思うほど達筆な刺繍で度肝を抜かれました。

ミシンで縫ったのかと思うほど正確で美しかったです。

 

素人だけれども、見たり聞いたりしたら理解してしまったようで、ボイラーなんかも直したと言っていたので、かなり特殊な人だったと思います。

 

「自分は運よく商船だったけれども、それを決める時一列に並ばされて、“こっから向こうは南へ行け”と俺から向こうの子たちは上官に言われて南に行ったきり、帰ってこなかった。俺は運が良かった」

 

サイパンとか、そっちの南の戦いに行ったのだと思いますが、ギリギリ、祖父は免れたのだと言います。
比較的安全と言っても、商船は狙われるので、よく爆弾が降ってきたと言います。

 

1度船が砲弾を浴びダメになった時、船長が「自分もこの船と終る」と言って聞かないところを、無理やり引きずり出して、
褌を広げてフカ除けをしつつ救出したこともある、とも言っていました。

※フカ:サメ

 

 

 

祖父は終戦の前に結核となり、入院して手術となりました。当時の結核の手術は背中を大きく切る手術だったようで、
祖父の背中にはその傷跡が死ぬまで残り、最後までその傷跡が凝って、痛くて大変そうでしたが、入院したおかげで祖母に出会うことができました。

 

「陸に上がった河童」

 

と、祖父は自分の事を自称したのですが、終戦後は船ではなく、陸でもちろん働くこととなり、とにかくいろいろな仕事をしたのですが、

陸の事もよくわからない浦島太郎状態だったのに、なんとタクシー運転手の仕事をやったことがあるそうです。ナビも無いので地道に道を覚えていくほかありません。

 

「東京でタクシー運転手をしたんだけど、○○っていう大物俳優が乗ってきて、彼女に会うために乗ったんだけど、まだあんまり道が分からなくて、何度も間違えて、終いには怒らせちゃったんだよ」

 

笑いながら話す祖父は“こっちもずいぶんな大物だな…”と、思ったものでした。

 

 

 

まだ貧しい最中の事だったので、親切な方の2階に間借りさせてもらって、祖父は家族を養うために様々な職をしていたのですが、その親切な方佐藤さんから

 

「山﨑さん、不動産をやったら?」

 

と、言われて勉強をして不動産の資格を取り、その後80まで不動産業をする事となりました。

 

佐藤さんのように困っている人も助けられるような人になりたい。と、現代の常識ではあまりやらない方が良いと思いますが、
家賃が滞納してしまっている人も追い出さず、居住者が困っていたら助けているような人でした。

 

その当時不動産業とヤクザというのはつきものだったようで、よく家までヤクザが来て取引を持ち掛けて、
時には脅されたとも言ってましたが、その時の祖父は酷くつまんなそうに語っていたので、多分こんなつまんなそうな顔をして追い出していたのだろう…。と思います。

 

家では適当で、お酒が好きで、恋バナが好きで、奉公先で出されたステーキが忘れられなくて牛肉が大好きな祖父でしたが、
仕事となるとパリッとし、事務所は古いながらも全て整頓されてとてもキレイでした。

 

 

 

事務所や家には格言も飾られておりました。誰の有名な言葉かと思ったら自分の格言で、

 

「歩きながら考える」

「考えてばかりいたら日が暮れちゃうよ」

 

と、毛筆で書かれていました。その当時はよく分からなかったのですが、同じ立場になってはじめて理解ができるようになりました。

 

 

 

そして70代で天皇陛下から旭日双光章(きょくじつそうこうしょう)という章を頂きました。あれは凄いですね。
「国家又は公共に対し功労のある方」で、その中で旭日章は「功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた方」という分類の章という事です。
身内に犯罪者がいないかどうかなどを調べてからやっと受けられるという特別な賞です。

祖母や母は家紋入りの着物を着て祖父と共に式に参加していました。まだ幼かった私は「何だかすごいんだ」「おじいちゃんすごい!」と、雰囲氣だけはわかっていました。

 

 

 

祖父はまさに命を燃やしながら最後まで人に頼ろうとすることなく、生き抜きました。弱音を吐いたのは一度きり。最後の入院の前。
「もう歩けないよ」と言ったそれだけです。晩年まで、かっこよかったです。

 

終戦後から毎日たゆまず努力をし、人を助け、資産と信頼を残した祖父。

 

「そんな事言ったって…」

 

と、誰かが話した時の返しによく言ってましたが、一緒に暮らしてわかりましたが、祖父が言い訳をしたところを私は見たことがありません。
祖父は自分に「とやかく言う前に行動」と自分を律していたのだと思います。そして、だからこそ上手くいってきたのだと思います。

 

 

ここからは見えない世界の話しなのですが、

 

ほとんど老衰で亡くなった祖父は、新しいもの好きな面と、細かいことは氣にしない面もあり、お棺に入ったさいの装束をとても面白がって、
そしてさっさと笑顔であちらに行ってしまいました。晩年は体の不具合に相当悩まされていたので、晴れやかなものでした。

 

そして、度々夢の中に現れてはメッセージを残して、妹が緊急手術をする時は祖母と一緒にあらわれて、こちらに手をチョイッと上げて「心配するな」と、手術室に妹と入って行ってくれたり…。

なんと今の仕事も、時折現れては助言してくれたりします。

もちろん、実務をどうこうしろなんて言ってくるわけではありません。ほんの些細な、けれど重要な手を添えてくれるような手助けです。

 

 

 

戦後を力強く生きた祖父は、私の中でとても大きく、尊敬する1人となっています。

祖父が、祖父のような人々が今の日本を守ってくれ、作り上げてくれた。

戦争でもそれこそ必死だったのに、戦後全てが無くなり、食べ物も無いような中で毎日必死に命をつないでいた。

 

きっと人の数ほど戦争のエピソードがあり、見方があり、生き方があったのだろうと思うと、感慨深いものがあり、学びがあります。

きっと祖父は、80を超えた晩年も会いたくて涙ぐんだ13歳で生き別れたお母さんと再会できて、初めての自由を得て、心が穏やかになれたことでしょう。

 

 

 

人生は長いようで短い。

ちょっと考え込むと後ろ倒しにしわ寄せが行きます。

どんどん詰まってきて、結局この人生でできないことがどんどん出てきます。

 

「考えてばかりいては日が暮れちゃう」なので、「歩きながら考える」

 

とにかく目の前の事を一生懸命やる。

 

祖父の人生のように自分にも人にも与えられ、楽しむ道は徳を積むことになり、様々な良い事が起こります。

私も祖父の孫として恥じぬよう、前を向いて、出来る事を確実にしていき、

些細な事は氣にせず(笑)喜べる、言い訳をしない人生を歩んでいきたい。そう思います。

 

「そんな事言ったって、考えてばかりいたら日が暮れちゃう。歩きながら考える」

 

それでは本日のお話は以上です。​
ありがとうございました。​

 

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