​#20【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮

​■前回のあらすじ■

​「五天布(ごてんふ)の魂の呪縛を解放する」

​蓮華は白天社から少し離れた竹林の奥深く、自らの師匠である十重布(じじゅうふ)の臥待(ふしまち)に告げる。

​母子山(ぼしざん)の白天社(はくてんしゃ)から安寧(あんねい)が居なくなり十四日。
​その間蓮華は異能により、この地がどうなっているのか、蒲公英(ほくよう)がどうなっているのか、この先何が起こるのかを知る。

​そして、蒲公英をまず助けるために、今まだ本当の力を封印され発揮できていない五天布の力を開放するために白天社を出ると言う。

​臥待は自身の調べと、白秋(はくしゅう)との再三の会議により蓮華がどのような子で、どういう行動を起こすだろうかという事を知っていたので、他の師達、十重布達の同意も得ず、単独で彼女を送り出す決意をしていた。

​力のない自分がその旅に着いて行くことは難しいと、臥待自身も考えていたが、秋の守護者白秋も「足手まといになる事はあっても、助けにはならないだろう」という助言から、死出の旅になる可能性が高い蓮華の道中を想い、神に近い保護者兼護衛として謡谷(うただに)の高級精霊「謡の守(うたのかみ)」と交渉し、蓮華に着いて行ってもらう事にした。

​本来二人で行く予定であったが、蓮華と同室の千代が話しを盗み聞きしており、自分も蓮華と蒲公英を助けるために行く。死も覚悟していると言い、着いていく事となった。

​臥待は、蓮華や謡の守に比べ凡庸な千代は、一人死ぬ可能性が高いと思いつつ、蓮華も全くその可能性がないわけではない事を考えると、蓮華の為にも、千代が死ぬと思っていても、送り出す方が良いだろう。臥待は苦渋の決断をし、千蘇我の未来を三人に託した。

​一方、蒲公英の方はと言うと…。

​続きまして天の章、第二十話。
​お楽しみください。

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​#20【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮


​「不幸中の幸いか。蒲公英や我々にとってはこの雪深さはありがたいが、民には酷よ」


​颪王(おろしおう)は御簾(みす)の隙間から外を垣間見て、眉間にしわを寄せた。
​卯月に入ったが一向に天変地異は収まらず、維摩(ゆいま)の地の吹雪は続いていた。
​城から更に北のここ、うつ田の屋敷も吹雪は相変わらずだ。


​もうすぐ天橋立が下界とこちらを繋ぎ、この天変地異もひとまずは終わると、秋の守護者白秋から颪王は聞いているが…。暖を取るための薪とて限りがある。城も例外ではない。維摩の地は長月(ながつき※9月の事)の中頃からずっと雪に閉ざされている。 懸念して準備していたとはいえ、余りにも長い冬だ。


​四季は四季を折る者、つまり四季の姫方に委ねられており、それ故に毎年代わる代わる美しい光景が広がり、恩恵があるのだが、強制的にねじ曲げられた強い力は四季の姫の力を狂わせたようだ。下界からの何らかの力により、特に冬と夏の地が深刻な痛手を被っている。


​うつ田姫はこれ以上冬の地が酷くならないよう、屋敷から出れぬ身となってしまった。先日は特別に城まで出向いたうつ田姫であったが、それも数か月振りの事であった。今うつ田姫は蒲公英と一緒に屋敷で過ごしている。 うつ田姫が外に出れないために、王や秋の七草がうつ田姫の屋敷に向かう事も今や慣れ始めている。


​「しかし、解せぬ。我らが反旗を翻したというに、 安寧殿は何故何もしてこない」


​「あからさまな行動をしないと分かっているものの…ここまで無干渉ですと、些か不気味でございますな」


​颪王の言葉に、秋の七草の精霊藤袴(とうく)がそう答えた。


​「春の地、白馬(あおうま)の会議で、安寧が五天布様方と蒲公英様の命を所望したとか…。私めとしましたら、それも奇怪。安寧は口惜しいことに、全知全能と言っても過言ではございません。何故、神々や精霊が集まる場で敵を作るようなことをしたのか。お陰で一致団結すれば下界の無謀ともいえる侵略を安寧を中心に食い止めるという術を失い、千蘇我は二分。もし、本当に千蘇我を守りたいのだとしたら、安寧は損をした事になります。あげく、安寧は白天社から姿を晦まし、独立。新たな敵を我らに送り込んでくる始末。守りたいのだか、滅ぼしたいのだか。まったく、一度脳内を覗かせていただきたいものですな」


​千蘇我全体に衝撃が走った白馬の会議。
​安寧の要求に誰もが絶句をしたその衝撃の会議を、いつしか皆“白馬の会”と呼ぶようになっていた。二月前の話だ。そしてそれは、藤袴の言う通り、千蘇我を二分し、それどころか散り散りにしてしまったと言っても良いだろう。それには確かに颪王も冷静に見極めなければならぬと警戒したものだった。


​「王?」



​藤袴が無言で立ち上がる王に声をかけた。

​藤袴が矢継ぎ早に身振り手振りで話す間、王は黙って外を見ていた。
​精霊でさえ寒いと口走る凍れる大地、維摩。


​風の唸り声が障子を叩き、その枠を軋(きし)ませる。
​雪の下の大地に眠っていた若芽たちは、天変地異が終わりし時も生きる気力を保っているだろうか?


​「死守がための修羅…か。命を賭け守るからこそ、滅したいのか」


​藤袴は黙って颪王の言葉を聞いた。
​口では良く分からないと言いながらも、やはり安寧の滅茶苦茶な言動と行動には、根底でどこか一本につながる何かがあるのではないかと思っているからだ。


​「どちらにせよ、このまま安寧を放っておけば、この国の重要人物達は尽く命を奪われつくされましょう。 安寧は全てを、地獄の地盤と共に減するつもりでございますよ。言葉や態度の通りに捕えますと、ですが」


​王は目を閉じ、悲痛な面持ちで、「場所を変えよう」と言った。


​遥か遠い、何千年も前から、歴代のうつ田姫達はこよなく蓮を愛した。
​淡く儚い桃色の花が屋敷の池を彩るのは、昔から変わらぬ風景だった。


​白黒の簡素だけれど立派で美しい姫達の屋敷に可憐な蓮の花の映えること。
​それはまるで、彼女たちの特質そのものであった。


​蓮に何かを求めるように、占いにしろ装飾にしろ、守り神のように冬の四季女達は蓮を大切にしてきた。
​その時期になれば、蓮が屋敷を取り囲むように広大な池に咲き乱れ、本作りの威厳あるうつ田の屋敷には、池から反射した波立つ光の輪が投影される。その眩さに、光の蓮宮(はすみや)などと呼ばれることもある。
​今は一輪も咲いてない凍った池があるのみだが。


​隙間風唸り、雪洞の灯るほの暗い廊下を音を立てて進めば、お目当ての部屋がある。
​そこは屋敷の一番奥にある部屋。


​美しい御簾を除け扉を開ければ、そこはうつ田こと、花雪の部屋。
​が、 王はその御簾を除けずにそっと手を添えて立ち尽くして いる。


​その神妙ぶりに藤袴は背後から首を傾げた。


​「花雪が笑っている」


​その言葉の通り、良く耳を澄ませば明るく、柔らかな笑い声がする。
​鈴を転がしたような笑いとは正にこのことだ ろう。

​絶え間なく笑うその声は、こちらまで笑顔にするような暖かいものだった。


​「蒲公英様と話が弾んでいるようですな」


​幾らか雰囲気を柔らかくした颪王は、そのまま少し立ち止まったままでいたが、ゆっくりと御簾を手で押し除けた。 コトトという音を立て、ゆっくりと戸を開けると微かに香の香りがする。


​「父上」


​驚きながらも、縹(はなだ)色の打ち掛けをさっと手で除けて立ち上がるうつ田姫。その背後には金色の蓮の花があしらわれた壁に、先読みをする護摩壇のようなものが鎮座している。この屋敷唯一の貴重品だ。


​座布団に腰掛、きょとりとする蒲公英と、不安げな顔で王を見つめるうつ田姫こと花雪。
​確かにここには日常がある筈なのに、自分の置かれた境遇の、なんたる過酷さか…。颪王はその花雪の顔を見ながら思う。しかし、始まってからでは全て、遅いのである。


​「いや、改めて話し合いをしようと思ってね」


​「まあ。では、ねぶか、人払いを」


​部屋の隅に控えていた女性は、そっと頭を下げて部屋を後にした。
​蒲公英も退出したほうがいいのかと、そわそわしだしたのを見て颪王は片手をゆっくりと挙げて制した。


​「蒲公英もそこに。何度も言って申し訳ないが、そなたは大御神なのだ。本来、安寧殿や、泉の神などと同等、肩を並べてよい筈の人物。 そろそろ自覚をせねばならん」


​「は、はい…」


​「父上…余りに酷にございます。そのような…。蒲公英は生まれてからまだ十と四しか経っておらぬのですよ」


​王は厳しい顔のまま花雪を見る。が、その顔に、力を捨てて人間となり、自分より早く旅立った自らの妻の面影を垣間見て、複雑な顔をしながらも颪王は微笑んだ。


​「花雪。 優しさには、色々な形があるのだ。目に見えるものばかりが全てと思ってはいけないよ。“香をたづねてぞ知るべかりける”よ。どれ」


​風王は花雪に合わせて腰を落としていたが、その掛け声に合わせて、ひょいと花雪を抱き上げた。
​急に視界が高くなった花雪は、初め何が起きているか分からずに口を空けたまま固まっていたが、父よりはるか 上に自分の頭があることに気がつくと、白い頬と耳を真っ赤に染めて、声を荒げた。


​「ち、父上!」


​「大きくなったな、花雪。 お前をこうして抱き上げたのは …お前がまだ言葉も喋れぬ時以来よの」


​と微笑んで、きょとりとする花雪の頭を撫でた。
​こんな 張り詰めた状況の中で、王の花雪への告白は冷え切った心に十分な暖かさを与えた。


​ただ、藤袴の心の中には、言いようもない焦げつくような思いがった。
​こんな時に思うのは不謹慎ではあるが、嫌な予感がした。


​すると、

​ガタタッと、多少乱暴に戸が開いた。
​思考を妨げたのは、秋の精霊のうちの一人、葛(つづら)だった。
​彼は、さっと中に入るなり御簾を手前に引き寄せ、次の者が入りやすいよう道を空けた。

​藤袴は小さな声で「声をかけて入れと言ったではないか!」と戸の向こうの葛に言い、苦虫を噛んだような顔をしていた。葛はその瞬間、シュッと戸の影に隠れる。言いたい事は山ほどありそうな顔をしていたが、次に颯爽と入って来た人物に、藤袴は何事も無かったかのように頭を垂れた。


​「おお。 陽亮(ようすけ)。よう来たな」

​「父上…」


​王が親しげに声を掛けるその方を見れば、黒髪の短髪も艶やかに揺らす、釣り目の青年が立っていた。
​黒い鎧を白い衣の上から纏う彼は、部屋の中の顔ぶれに思わずぎょっと立ち竦み、目を泳がせた。
​きりっとした面立ちの彼は、黒い瞳をとりあえず颪王に収束させ、腰を折った。


​「颪王におかれましては…」

​「何を今更畏まるか。 主なら息子同然。それよりも、早うここへ座りなさい」


​王は自分の左隣の座布団をはたはたと叩いて彼を促した。
​しかし、この状況に酷く困惑しながらも、花雪が小声で王に抗議する。


​王は何故娘が浮かない顔をしているのか分からず首を傾げているが、
​藤袴は何故うつ田姫が浮かない顔をしているのか承知していたので、深く息を吐いた。


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​…#21へ続く▶▶▶

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