#22【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
冬の地維摩(ゆいま)のうつ田姫の屋敷に、秋の七草に誘われ一人の男がやってきた。
彼は、冬の地の守護者、五天布(ごてんふ)の黒冬(こくとう)だと、秋の七草の一人藤袴(とうく)が紹介をする。
黒冬は「私を騙し、安寧殿の招集を妨げる理由を問おう」と、厳しい口調で言った。
千蘇我(ちそが)を混沌に叩き込んだ、大地の女神である安寧(あんねい)は、大変に言葉巧みで、真実をうやむやにする事に優れていた。
そういったところでも彼女は千蘇我を混乱に陥れているのだが、黒冬もまたその渦中にいた。
藤袴は冬の領土が安寧に反撥し、抗議する理由、安寧が黒冬を招集するのを妨げた理由、現状等を丁寧に彼に話す。
その折に、蒲公英(ほくよう)は、新しい千蘇我と下界の状況である、上と下を繋ぐ道、天の架け橋、真澄の鏡(ますみのかがみ)なるものを知る。
未だ混沌とする千蘇我に、光明はあるのか?
人々の複雑な想い、策が、静かに進行していた。
続きまして天の章、第二十二話。
お楽しみください。
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#22【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
「えー、それでですね。もし、真澄の鏡が見つかったとしましても、使えるようになるまでには少々時間を要することになります。 安寧の力と言われている五天布様方の封印を解き、自分の血肉にするまでもしかり…」
「その間に首と胴体を斬り離せとでも言うのか。藤袴」
「いいえ。 それも出来ないのです」
黒冬は突然声を落とし、淡白に語る藤袴を睨んだが、藤袴の事務的に紡ぎだしていた今までと違う口調に、黒冬は首を傾げた。
この国からの安寧への信頼は厚い。
はっきり言って、颪王側が不利であるとも言えよう。
これほどに理不尽な事が起きているというのに、気を抜けば潰されるのはこちらかもしれないのが現実だった。
神や精霊、人や動物に至るまで、長年の安寧の様々な恩恵と慈愛は竹の根のように張り巡らされ、 強固なもので、現段階でまだ目に見える形で災厄を助長している事がはっきりしない今の段階での大きな動きは己の身を滅ぼすことになる。
冬の地維摩とて、嘗(かつ)ての大寒波と雪崩を収めた安寧への恩を忘れてはいない。
冬の地の古い神々、精霊達ももちろん忘れはしない。
故に今、冬の地のみならず、千蘇我全体で大変深刻な派閥が出来上がりつつあるのだ。
藤袴は軽快な口調を止め、一度黙してから黒冬を見ずにその状況を語り、呟くように言う。
「それにあちらには、精霊最強と言われている春の七草がおります。重ねて、今はまだ朗報ですが、蒲公英様はまだ犬御神として覚醒されてない。こちら側は手札としてはまだ未完成。今は慎重に、薄皮を重ねていくが如く動く時なのです。」
急に名前を挙げられた蒲公英はびくりと体を震わせた。
黒冬はしっかりと、その漆黒の瞳で蒲公英の目を見据えてきた。
「われらの仲間の一人が、その蘿蔔(すずしろ)に言われたそうです。 我らには力と時間があり、お前らには無いだけだ、と。 幾度となく、我らは見過ごされているのです」
「ならば、どう戦うというのだ。夏は安寧殿を裏切らないだろう。秋の白秋は行方をくらまし、春に至っては統治の問題で動けもしない。 冬と秋草だけで何が出来るというのだ」
「まあ、落ち着け、陽亮(ようすけ)」
颪王が黒冬の肩に手を置きながら、自らも肩を落とした。
「しかし王。この千蘇我という大地には、領分弁えよという暗黙の秩序がありましょう。 人は精霊に、精霊は神に逆らえぬ、絶対的な力の差がございます。 埋めようにも埋めがたい、目もくらむような差が」
尚も王に食い下がる黒冬。
そこに凛と澄渡るような一声が部屋を支配した。
「とても神の領域と謳われる者とは思えぬような、腑抜けた言葉じゃて」
うつ田姫であった。
その言葉を彼は聞き捨てることがならなかったようで、一層目を細めて、「何?」と返した。
しかし王の手前、いつものように言い返せない黒冬は、そのまま押し黙ってしまった。
それにさらにうつ田姫が溜息をつくと、部屋の温度は一段と冷え込んだ気がした。
「ご両人、落ち着いてください。何のために黒冬様をこちらにお呼びしたのか分からなくなってしまいます。ならばしかける必要などございません。反撥したと言っても今はただ丁重に拒否をしているだけのこと。今は刺激をせず、失敗をしないようにし、公の規則に従って蒲公英様と五天布様方を守ればいいだけの話しにございます」
藤袴は淡々とそう述べるが、釈然としない一座の空気はそのままであった。
なりふり構わなくなった安寧から果たして守りきれるのだろうか?
安寧は一体 どこまでやろうというのか?
天橋立が開けば一体どうなってしまうのか?
不安ばかりがこの国とこの部屋に渦を巻いていた。
「精霊や神々には話したのか」
「ええ。現在も行っております。けれど案の定、どなたも無干渉を貫きたいようでして。 安寧が下界から我らを守ってくれるというのに、何の不満があろうか?と口を揃えて申します。どうにも自らの領域以外のことは無関心でして。 正直なところ神々などは特に、安寧が設置したとはいえ城という存在自体憎まれている方も多いです。上に行けば行くほど、自由奔放でいらっしゃいますよ。 下界にまでちょっかいを出している方もいらっしゃると聞いたこともございますし。協力を承諾して頂くには後何百年かかるやら…。困難を極めております」
皮肉めいた口調で藤がつらつらと述べると、
黒冬は呆れたように目を伏せ、眉を上げた。
「まあ、所詮この戦争に関係あるのは古来からの神々や、 精霊たちばかり。下級の者は安寧は歯牙にもかけないでしょう。賛同を得られたところで貴方様や姫様方、犬御神様の前に、その力は微々たるものです。そんなことはいいのです。問題は黒冬様方の魂の封印の解除や、蒲公英様の神化に伴う、安寧への対処です」
藤袴が黒冬と蒲公英を憂う。
と、黒冬は伏せた目を上げ、蒲公英を見た。
「娘」
「は」
それだけだった。
たったそれだけのやりとりであったが、黒冬は動きを止めた。
誰もが怪訝に思い彼を見るが、 彼はさきほどよりも落ち着いた顔をしている。
今までの、社を構える神の領域の者の顔立ちが、その足元の明かりにくっきりと浮かんでいた。
「どうしたのじゃ」
それは、うつ田姫も恐々聞くほど、神妙な顔つきであった。
黒冬は内心感心していた。そして、今この瞬間興味を持った。
蒲公英は生まれてからまだ十と四しか経っていない童子。
このような現状に振り回されて弱者に浸っているかと思っていたのだ。
ところが、一声かければ教養ある姿勢を見せ、丹田から声を発した。
何も分かっていないのは蒲公英も同じであろうに、強い意志を感じる。
そして、その瞳にはこの国では滅多に見られぬ、命の輝きが見える。
黒冬でさえ忘れかけていたものだ。
それからこれは気の迷いだと思うのだが…。
酷く懐かしい気持ちが溢れ、泣き出したい衝動と共に、
自分の中の燃える魂を感じた気がした…。
黒冬はここにきてやっと笑みを見せた。
それは小さな笑みであったが、黒冬が初めてこの話に乗り気になった瞬間であった。
「主の意見を聞こう」
蒲公英は黒冬と見合い、
一同が戸惑う中、返答を求められた。
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…#22へ続く▶▶▶
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