#23【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
大地の女神安寧(あんねい)の思惑により危ない所を、秋の七草より既(すんで)の所で命拾いした
冬の地の守護者黒冬(こくとう)は、その足で冬の姫、うつ田姫の屋敷に連れてこられた。
黒冬は息つく間もなく、秋の七草の一人藤袴に事の経緯を話した。
まだ混乱している黒冬は、事の大きさと、結局聞いた事態をどうするのか不透明な事に焦りから苛立ちを感じ始める。
特に彼と同じ、本来戦力になるであろう五天布(ごてんふ)は総勢五名いるというのに、実質冬の意志で動けるのは黒冬一人。
圧倒的不利に頭を抱えた。
藤袴は、今はこちら側の準備がまだ何も整ってない事、現段階でまだ小さな反撥なので刺激せずに黒冬と蒲公英の命を護るという行動をひとまず取ろうと思っている事を告げ、その場をまとめようとする。
釈然としない雰囲気の中、黒冬は蒲公英(ほくよう)に声をかける。
同じく命を狙われている、伝説の神と言われている存在が、頼りなげにこれまでの話しを聞いているが、本当の所どう思っているのか?
さして期待をせずに声をかけた。
ところが、蒲公英の声を一声聞いただけで黒冬は衝撃を受ける。
案外しっかりとしているというのも驚いたが、それよりも酷く懐かしい気持ちが溢れ、泣き出したい衝動と共に、自分の中の燃える魂を感じた気がしたのだ。
一体「犬御神(いぬみかみ)」とは何者なのだろうか?
そして、現“犬御神”は何を考えているのだろうか?
黒冬の顔にやっと、笑みが浮かび言う。
「主の意見を聞こう」
蒲公英は一同の視線を集め、返答をする事になった。
続きまして天の章、第二十三話。
お楽しみください。
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#23【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
蒲公英は驚きながらも、「冷静に…」と、何度か頭の中で呟き、取り留めは無いのだが…、ここしばらく考えていた事を言葉にし始める。
「信じられないのではなく…信じたくない」
この言葉を言うと、颪王が反応する。
この言葉は颪王が蒲公英に送ってくれた言葉だった。
「安寧様が…五天布様方や、私…や、邪魔立てする全てを葬ろうなどとまで考えて戦をしようとしていること…。私は、あんなに、あんなに、近くにいたというのに、私は安寧様の苦しみを捉えきれていないでおりました。犬御神がどうとか、龍や麒麟がどうとか、私にはよく分かりません。けれど、安寧様は私の母も同然 。子として…母に問いたい。自由に…生きて、はっきりさせたいです。全てを」
うつ田姫は蒲公英を心配そうに見ながらも、少し涙ぐんだ。
出生も不明、今の自分も不明な蒲公英が、
自分の意志で育ての親である安寧と今、親子になろうとしている。
今、誰よりも辛いのは蒲公英なのだろうと思うと、うつ田姫はその胸中を想い、涙した。
対して黒冬は、表情を崩さずあごに手を置き、直ぐに返答をした。
「ならばどうする? 主はまだ名ばかりの未完の神。安寧殿の手に掛かれば、この地など一瞬にして溶岩の塊と化す。安寧殿はそれほどの“神”。神から、まだ一介の子供であるお主は、お主自身の身を如何に守り、また、この地の命を守るか?」
花雪は、袖口で口を覆ている。
体を壊してしまうのではないかと、こちらが心配するほど悲痛な面持ちをしている。
蒲公英はうつ田姫を心配をしたが、それ以上に黒冬に対して信じられない気持ちでいた。
嬉しくて、気分が高揚しているのが分かる。
勿論、彼の納得いく説明が出来るか?
彼に気に入られるかは分からない。
けれど、彼は自分を子ども扱いせず、一人の人間の大人として手加減せず話しかけてくれている。
不器用なだけかもしれないが、それでも蒲公英は良かった。
とはいえこんな場である。
嬉しさなんて出していい状況ではない。
蒲公英は心を静めてから冷静に考えた。
確かにそう。黒冬の言う通りなのだ。
「私一人ではどうすることも出来ません。ひとまず白天社に向かおうかと」
「向かい、如何する」
「白天社には大量の書物があり、また、知識人がいらっしゃいます。そこから知恵を絞り…」
「ここにも知識人が集まっているぞ」
黒冬は顎をふいと動かし、言う。
しかし、すかさず蒲公英は言った。
「…知恵を絞り、犬御神になります」
その瞬間、部屋が水を打ったかのように沈黙した。
藤袴なんて、口が開いたままになっている。
数拍の後、黒冬は大声で腹から笑った。
組んでいた腕を解き、胡坐をかいた膝に手を盛大に打った。
その笑いは長く、何と颪王まで笑い出した。
「ち、父上…!?」
うつ田姫は困惑しており、藤袴はまだ口が半開きになっている。
「蒲公英、お主の頭は単純にできておるようだなぁ!」
なお黒冬は笑う事に、蒲公英はむくれた。
黒冬はその表情を見て、更に言う。
「主が動かずとも、世は回るぞ?」
「ならば、私が動いても世は止まりませんでしょう」
「身の程を知らず勝手をすれば、数多の命が失われる」
「領分弁え、留守を任されるなら幼児とて出来ること。 私はもう、自らの意志とこの手で我が道を歩んでいきたいのです。私は、私に出来る事を…。力があるならその力で大切な人達を守りたいのです!」
二人は一度息を整えた。
「その決断、最後まで貫き通せるか?」
「はい。守れなければ死ぬだけです。しかし、何もしなくともそれは死。同じ死ならばやれることを全てやって死にたいのです!」
蒲公英の瞳が煌き、鋭く細められた。
その表情に黒冬は思わず声を出して笑う。
「何をお笑いになられますか。 私は本心を語ったまで」
「追い詰められた獣かお主は。暑苦し過ぎる」
するとついにうつ田姫が声を上げた。
「主は! 悪口しか申せぬのか!口を開けば戯言ばかり。聞くに堪えぬわ!今度ばかりは我慢ならぬ。帰れ!」
「花雪、落ち着かぬか」
立ち上がる勢いでまくし立てたうつ田姫は、颪王に手で制された。
よわっている颪王の隣で黒冬は、未だに蒲公英に目を向けており、興味深気な顔をしていた。
とは言え、蒲公英も黒冬の真理が知りたい気持ちがあり、黒冬の様子を窺った。
黒冬はその顔を見て言う。
「いや、褒めている。普通は何者かになる事に対して恐怖を覚える。弱い者は強い者の影に隠れ、喉元過ぎるのを待つもの。しかしこの状態で躊躇なく一か八かの賭けの札を切り、死をも恐れず勝利の道を進もうとするとは。…いや!中々。久しぶりに良いものを見た」
黒冬は膝を打ち言う。
「気が変わった。よかろう」
「黒冬様?」
「藤袴。お主を始め、秋の七草の精達は犬御神になる方法は知らぬのだな?五天布の呪いも」
「お恥ずかしながら…。しかし、確かに白天社にて安寧関係では無い動きがあるような事を、他の精霊から聞いております。もしかすると、蒲公英様か、五天布様方の事に関するものかもしれません」
黒冬は口に手を当てて少し思案した。
蒲公英は更に黒冬に言う。
「白天社の中央には、安寧様だけの庵があります。先生方でも招かれなければ入れない作りをしておりまして、もしかしたらまだ何か書物か何かが残されているかもしれません」
黒冬は蒲公英を目だけで見た。
「しかし、黒冬殿。まだ確かな事は分かっていません。使いをやってからでも…」
藤袴はそう黒冬に進言する。
黒冬は床に目線を送る。
「危ない事は少ない方が良い。お主だけならまだ良いが、蒲公英は危険じゃ!秋の精霊に暫くは任せても良いであろう、黒冬」
うつ田姫がたまらずそう言う。
黒冬は目を閉じた。
颪王は何も言わなかった。
蒲公英も何となく次の展開が読めてしまった。
「うむ。決めた。お前に付いて白天社に向かとする。恐らく、時間が無いだろう。だが心得ておけ。その誓い違えた時は最悪、 命を貰うぞ」
蒲公英は黙って頷いた。
颪王は“やっぱり”という顔をしていた。
蒲公英もこの数時間の仲であるが、黒冬の性格が何となく分かってしまった。
基本、あまり人の話しを聞いていない。
聞いていないというより、聞いた上で最終的にはやりたいようにする性格なのだろう。
『そりゃ、聞いて欲しい花雪と摩擦が起こるわけだ…』
蒲公英は心の中で独り言を呟いた。
蒲公英は嫌いではない性格だが、うつ田姫としては最悪の相性である。
一同はかなり心配な顔をしているが、王は微笑みながら頷いた。
経過はどうあれ、これで蒲公英は務めを果たしに行き、黒冬という命の保証を多少得ることが出来た。
今は白天社に安寧はいないのだから、よほどのことが無い限り最悪の事態は起きないだろう。
『しかし、余程の事が起こせる者しか、むしろあちらには居ないのだが…』
藤袴は心配をしながらも、二人が安全に母子山(ぼしざん)に行ける道や、手段を考えていた。
犬御神は極秘中の極秘で、伝説も伝説。
その情報があるならば、今まで開かれていない所に行くほかない。
確かに、安寧の庵は怪しい。
白天社事態も不明なところが多い。
その隣の謡谷なんて、神も近づけない場所。
謡谷に安寧の第二の根城が今はあるようだが、
流石に白天社の中でドンパチはしないだろう。
とは言え、近い事に変わりはない…。
「黒冬様。私個人の意見としては、余り動いて欲しくはないのですが…」
冬の地は厳しい極寒の天変地異が起こっているため、天然の要塞で言わば守られていると言っても良い。
春の七草も流石にこの寒さは堪えるようで、頭がおかしい繫縷(はこべら)でさえも、この前一度来たきりである。諸刃ではあるが、最悪な事は起こらない。それが今の維摩の地であった。
それに目の届く場所に居ないという事は、動向が分からなくなる事もあり、守り切れない可能性が高い。
「何、暴れるわけではない。私とて引き際を弁えている」
黒冬にそう言われてしまっては、藤袴とて大きくは出れない。
黒冬は五天布の中で一番武力に優れている。
冬の陣営の中で黒冬が倒れる時は、武力を失った時と考えても良いほどだ。
加えて、蒲公英と黒冬が冬の地から外れると、冬の地の危険度はかなり下がる。
颪王を始めとした冬の者達は、天変地異以外安全になるのだ。
藤袴が王に目を配ると、王は一つ大きくうなずいた。
「私は黒冬を信じておる。 蒲公英を頼んだぞ」
「謹んで」
黒冬は颪王に目を合わせてそう言った。
次に颪王は蒲公英を見る。
「蒲公英。母を問うならば、感情的になってはならん。 黒冬の言うことをよく聞くように」
「は…はい…」
不貞腐れた顔で、鈍く頷いた蒲公英に颪王と藤袴は苦笑した。
「何だ。私の言をきく事が気に食わんのか?」
「そうではありません!…その…。今のは…、自分との闘いです」
今度は颪王が盛大に笑った。
蒲公英は颪王に図星な事と、痛い事を言われてしまい、
素直になり切れなかったが故に、歯切れの悪い返事をしてしまった。
その事に蒲公英は恥じた。けれど、黒冬に言うのも恥ずかしいので言い淀む。
「陽亮(ようすけ)。もう聞いてやるな。蒲公英にも色々とあるのだ」
会議は白天社へ向かう事で落着し、一区切りを迎えた一同は軽い会話をしていた。
しかし、うつ田姫だけは終始笑顔を見せることは無かった…。
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