#26【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
北の守護者黒冬(こくとう)と蒲公英(ほくよう)は、秋の地八朔(はっさく)から千蘇我(ちそが)の中央にある母子山(ぼしざん)の白天社(はくてんしゃ)に向かっていた。
北から入るには道があまりに険しく、非効率的だったからだ。
その間、二人は秋の地の話しをする。
秋の地の守護者と姫の異様な関係と、秋の守護者白秋(はくしゅう)の不穏。
秋の姫竜田姫(たつた)は、白秋の事を警戒しているようだった。
冬の地の王颪王(おろしおう)も親し気にする反面、独立して動く白秋を
「感情的にならなければいいが…」
と心配する一面があった。
感情的とは正反対にしか見えない白秋が、何故そのように言われるのか?
蒲公英と黒冬は白秋に疑念を感じていた。
黒冬と冬の姫うつ田姫も会えば憎まれ口を叩く間柄であったため、黒冬はそんなものかと思っていたら、秋はもっと酷く、目も合わせようとしない。
間に人を挟まなければ話しにもならないと聞き、ただ事ではないと黒冬は思う。
秋の地の者は代々穏やかな人格で、実際個々にはそうであるが故に、不気味な事であった。
千蘇我の歪みが一体どこまで波及しているのか?
黒冬は一度考える事を止めたのだった…。
続きまして天の章、第二十六話。
お楽しみください。
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#26【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
八朔は国に多数の町が存在している。
宛(さなが)ら、国が幾つか点在しているかのようだ。
ここも例に漏れず町の一角。集落が段々と密度を増していった。
右手奥に、国境である鳥居が見える。八朔の鳥居は大きく、頑丈そうな木でできたものだ。
向こうの方から金雲に混じり、桜の花弁が舞い込んでくる。
燃える山々を縫い、厳格な建物の間をすり抜け、池や紅葉を撫でつけ、蒲公英の鼻腔を濡らす。
どこか、懐かしい香りがした。
「日が傾いてきたな」
黒冬が徐にそう告げた。
確かに、少し時間がたてば夕暮れとなってしまうだろう。
「なあ、蒲公英よ。お前はここが天界だということを知っていたか?」
唐突に彼はそう言う。
「…王や、秋の七草の話からして…」
「うむ。だが、おかしいと思わぬか? 我らが神の領域と呼ばれているのに、何故下界のことを知らない? ここが天界ならば、何故痛みや苦しみがある? 月日が巡る? 解せない。それ自体、私は疑問に思う」
「…難しいですね。追求していけば、この国自体の存在を疑うことになりましょう」
黒冬はきゅっと口を閉じ、思案顔をした。
広い道の中央は人通りが多いためか、そこだけ葉が落ちていない。
たまに舞い込む紅葉した葉を、蒲公英は足でどかしながら進んだ。
『安寧様は答えを知っているのだろうか…。いや、その前に…安寧様の身に一体何があったのか?』
考えながら無意識に前を見ると、蒲公英はビクリと体を震わせ、一度立ち止まった。
「うん? どうした」
黒冬が蒲公英の視線に合わせ、前を向いた。
橋が架かった先の、関所でもあるその場所に、安寧がいた。
質素な姿ではない。
白を基調とした、まるで神のような衣。
すそ広がりの長い衣。
袖口が重たそうに、右手を上げる安寧。
蒲公英は言い知れぬ恐怖を感じた。
「蒲公英、全てを、話しましょう」
「馬鹿な! 蒲公英、幻想だ! 実態は存在しない」
確かに、少し遠くの門番は安寧の存在にまるで気が付いていない。
不思議そうに蒲公英たちを見ているだけだ。
安寧は目を細め、微笑む。
「北の勇敢なる守護者、黒き冬よ。そなたとて、今のこの状況を芳しくは思っていないのでしょう? 地獄の地盤からの侵略は、火を見るより明らか。それを防ぐべく、私は神としての力を取り戻し、千蘇我を守らねばならない。 二神相手に、私以外の誰が対峙出来ようか」
「大地の女神よ。確かに我らは古来から貴女の恩恵を受けていよう。それは今も昔も変わらぬ事実。が、しかし、貴女が為し得ようとしている過程によれば、我ら五天布は死に、蒲公英の人格は破壊され、それを妨げようとしている 者達には死という筋書きであろう?」
「ほう、誰がそのようなことを?」
「白を切るおつもりか。 主要な人物は言いかねるが、書物などを紐解けば、この国の成り立ちや、御伽草子の真意封印のことなどが分かる。 全て解したなどと自惚れることはせぬが…」
安寧はふふと笑い、「真意」と呟いた。
冷たい笑いだった。顔は能面のようだ。
蒲公英はゾッとした。
安寧は微笑みを絶やさないまま、憐れむように黒冬と蒲公英を見、両手を広げた。
「ならば、この安寧を斬るか?」
黒冬は警戒し、冷汗をかいたが、蒲公英がそれ以上に 体を震わせ動揺したのを見て、冷静だった黒冬に不安がよぎった。 はっきり言って、犬御神は未知であった。 何かの拍子で精神の糸を断ち切り、理性を失うやもしれない。そして、幻覚だとしても今目の前に安寧という神であり、蒲公英の育ての親がいるのだから、更に緊張せざるをえなかった。
余り感情を表に出さない蒲公英は、年の割りには落ち着いている。
だからこそ、不安でもあった。
『果たして、守り切れるか…?』
未知に挟まれた黒冬は、冷汗をかく。
「私を斬ったら、その後、如何する。諸所におわす神々や 精霊をお主が束ねるか? 颪殿が束ねるか? 下界の暴挙 お主が鎮圧し、二神を殺めるか?」
ふふ、と安寧は笑った。穏やかな声だった。
蒲公英は、安寧の口から出る言葉を聞いても、未だにこれが安寧であると納得出来ない。
いや、これが本当の安寧だったのであろうか?
今までは内に感情を秘めており、自分は気が付かなかっただけで、本来はこのようなことを考えていたのだろうか?
蒲公英の頭が追いつかず思考を巡らしている間に、黒冬が安寧に言葉を返す。
「貴女の考えに私は同意しかねる。確かに私だけの力では下界におわす二神には到底太刀打ち出来ぬでしょう。貴女の封印の解き方も、蒲公英の封印の解き方も、探れば自ずと見つかる筈でしょう。 何故貴女一人が下界と戦わねばならぬのです?」
「北の守護者よ。私のことは知っているのであろう?」
更に穏やかに、安寧は黒冬に言う。その顔は聖母のようだった。
しかし、蒲公英は総毛立った。
この人は誰だ?と。
「世界誕生から存在する、三大神の内の一人。大地の女神。 封印の解き方、解決の仕方。 その全てが無意味」
「何?」
蒲公英の良く知る造形の顔の女性が、
人形のような顔で淡々と言う。
「あるからあり、ないからないのだ。破壊と創造が出来るのは神のみ。そうであろう? 犬御神…我が半身よ」
「うっ!?」
安寧が、真っ直ぐに蒲公英の瞳を覗き込んだ。
たったそれだけであったのにも拘わらず、心臓やその他の内臓が揺らいだ気がして、蒲公英は身を屈めた。安寧の「犬御神」と言った言葉が、体に衝撃と共に大きく響き渡ったような気がした。
蒲公英は、貧血でも起こしたかのように視界が定かではなくなり、ふらついた。
黒冬は思わず声を荒げて叫んだ。
「何をした!?」
「何を?…ふふ。 私はただ蒲公英の中の犬御神に話しかけたまで。蒲公英の体がそれに反応したのであろう。ご苦労だったな、黒き冬よ。 此度の件は、神でなければ到底話にならぬ。先の先にある、光明の全てを解せるというのならば話は別であろうがな」
と言いつつ安寧は蒲公英に手を伸ばす。
が、 蒲公英はその 手に斬りつけた。
幻に斬りつけたとて、空を掠めるのみ。
しかし、それだけで十分。二人の動きは止まった。
まるで、時が止まったかのようだった。
「蒲公英…。母に刃を向けるなど、気でもふれたか?」
「貴女は誰です?私の知る母、安寧様は人様相手に幻でなどお会いしない」
黒冬は若干ズレている蒲公英の回答に気が抜ける気がしたが、蒲公英の「母を問う覚悟」が徹底されている事を感じ、改めて気を引き締めた。蒲公英の中にしか無い、「母の姿」というものがあり、それはおよそ正しいものに感じられた。純粋だからこそ、これまでの安寧を鏡のように曇りなく映していると感じられた。
しかし、安寧は動揺するどころか、満足そうに笑う。
『…安寧の中には、もう蒲公英への情はカケラも無い…という事か?今している事に絶対の正義を見出しているのか…?』
だとしたら、安寧を改心させる事は不可能だろう…。黒冬は構えながらもそう考える。
安寧は蒲公英の答えを聞くと、諸手を広げた。
「それは、残念でした」
蒲公英はすかさず、懐から蓮華に貰った札を取り出し、安寧の幻影の足元に深々と刀を刺した。 影が無いモノは式神である可能性があると聞いたことがあったからだ。瞬時に出る、蓮華の紋。 それから淡い桜色の閃光。
がしかし、 予想に反して安寧ではない、しかし見知った者の声の叫び声があがった。
閃光の中にはなんと、黒い衣を翻し、悶え苦しむ男の姿がある。
「お、颪王…?…え?どうして…!?」
「しまった! 多重呪詛印が出ている! 安寧…、安寧め!!颪王まで殺める気か! 蒲公英!ここを離れるぞ!」
確かに、蓮華の紋が浮かび上がった瞬間、その上から 逆様に文字が羅列していったのを見ることが出来た。どう やらこれが多重呪詛印というものらしかった。くわしくは蒲公英にも分からないが黒冬の反応からして力が呪により歪められたようだ。安寧の式神を解こうとしたところ、蒲公英の刃が颪王に影響を与えたのだろう。
黒冬は呆然とする蒲公英の手を引き、刀もそのままに走りだし た。
「黒殿!あれは…一体?… 私は…?」
「考えるだけ無駄だ!あれば罠だ! あれ自体は良く出来た式であると思うが…。私の予想では、颪王もただでは済むまい。あんなことが出来るとは…。…くそっ!やはり神か。」
ひとしきり、黒冬が喋る。
蒲公英は黒冬に手を引かれながら、元来た方向へ進路を向けていることが分かりながらも、ただひたすらに走っていた。
しかし、ふと足が止まる。黒冬が足を止めているからだ。
前を見ると、目の前に青い衣に身を包み、仁王立ちしている男達がいた。
紅葉艶やかなこの景色にはとても不釣合いなこの鮮やかな蒼に、蒲公英は見覚えがあった。
「蒼城の兵…。何故こんなところに…」
「ただの兵だけなら、逃げおおせられるがな…」
後ろからは八朔の兵が押し寄せ、前からは白馬(白馬)の兵の群れ。
偶然を装った罠にしては、うまく行き過ぎている。
「やられたな…」
黒冬が目を細めて嘲笑うと、目の前で仁王立ちしていた 蒼い兵士が、つと進んできた。
「北の守護者、黒冬殿と見受ける。罪人を庇い立てするようなら貴方といえど、連行せざるをえません」
「抜かせ。あれは式だ。良く調べろ」
黒冬は最初の言葉を小さな声で呟いてから、兵たちに指示を出した。
蒲公英が後ろを振り返ると、兵士たちの隙間からぐったりとした颪王の式が、八朔の兵士に抱えられていた。
蒲公英は本当に式かと見まごうほどで心配であったが、黒冬が断言するのだから、間違いない。
「我らには、北の城主、颪王にしか見えませんが…」
良くできた式だった。
恐らく、安寧自ら作ったものだろう。
彼らの目に嘘、偽りはない。本気で、颪王だと思っている。
これほど恐ろしく良くできた式を作られてしまったからには、簡単には窮地を脱する事はできない。
頼る所は、自分の神の領域としての信頼のみだ。と、黒冬は長丁場を覚悟する。
相手の痛い所を付きながら、トントンに持っていければ上々だ。
本当はこんな事をしている場合ではないのだが…。黒冬は焦りを感じた。
「調べれば分かること。それより、何故白馬の地の者がいる?」
「我らは西の要人、白秋殿の行方を追っていたまで。白秋殿無くして論議は進まぬと春の姫が仰せになったので」
黒冬は目を細め、腕を組んだ。
それを見て、少なからず 白馬の兵たちは二、三歩たじろいだ。
良い傾向だった。が、 蒲公英が口を開いてしまった。
「蒼鏡の者が他国に…? 他所の地を他所の城方がその程度の事で侵すとは!有り得ない…!千年単位で続く均衡が崩れる事を、姫方がするわけがない!」
「よせ、蒲公英」
小声で黒冬がそう窘(たしな)めるのと、白馬の兵が口を開くのは、ほぼ同時と言って良かった。
「罪人め!我らばかりでなく、姫まで冒涜する所業。最早猶予はない!」
兵士の手が蒲公英に伸びるが、反射的に蒲公英はその手をかわし、防いでしまった。
「ぬ?」
「言われなき罪で何故裁かれましょう?真偽のほどを、もう一度お確かめになってください。 私は逃げも隠れも致しません」
「小癪(こしゃく)な!」
今度は数人がかりで蒲公英を捕らえようとしたがするり、するりとかわされてしまう。
「蒲公英!よせ!」
「何故お止めになるのです。私たちは何も悪いことをして いないでしょう?」
黒冬は事態の悪化を止めるため、蒲公英に静止の声をかけるが、蒲公英は完全に怒っていた。 口調は冷静であったが、姫達への信頼が高いあまりに、嘘をつき、何千年も保ってきた均衡と、代々の姫達の努力と積み上げてきた信頼を壊そうとする者達に怒りを感じていたのだ。
黒冬はその気持ちも分かるが故に、厳しく言い切れない所があった。仲が良くないと言えど、うつ田がどれほど四季の姫としてこの地、そして維摩を守り、育むために努力してきたか知っていたからだ。とはいえ、それは内に秘め、今は目的を成す事に集中しなければならない所。
目的がすり替わってしまった。
いや、蒲公英の性格を知っていて、すり替えられてしまった。と言った方が良いだろう。
黒冬はまたやられたと歯噛みした。
「ええい!もうよい!斬れ!斬れー!」
流石に白馬の兵の言葉に八朔の兵も驚いたのか、戸惑い露わにした。
黒冬は冷静にそれを見る。白馬が本拠地となっており、八朔はまだ機能しているのではないか?そう感じた。
蒲公英が素早く構えると、彼らは一斉に槍やら刀やらを振り下ろしてきた。 蒲公英の武器は遠く、地面に刺さったままで、素手で対面するしかなかった。
蒲公英は小さい体を利用して相手の懐に潜り込むと、槍の柄を掴み、その腹を蹴り上げた。
そして、 そのまま空を切る音をさせながら槍を数回その場で振り、構えた。
その一連の動作は、鍛錬を己の体に練りこみ、すでに昇華させた見事な形であった。
ぴたりと槍を中段に止め、構えるその体には、一糸乱れぬ張り詰めた気迫があり、その目は風の色さえ見分けられそうなほどに爛々としていた。
最早呼吸の音しか聞こえぬ世界。
とても人間相手の気迫に感じない。
四、五十はいるであろう兵達は、誰一人言葉も発せず、動けもせず、構えたまま硬直した。
黒冬はその光景に目を見張る。
凄さも感じるが、教育も必要だと感じた。
過ぎる力は、毒にもなる。
しかし、唐突に蒲公英 その目をちらと右に走らせた。
そうかと思えば膝から崩れ落ち、ぴくりともしなくなってしまった。
黒冬は戸惑う兵士らに見向きもせず蒲公英に駆け寄り、そして担ぎ上げた。
「神には神を、ですか」
「自惚れるな。貴様など造作もない」
木の合間から出てきた男はそう言う。神のようだった。
「安寧様に付いた、取り巻きの神は忙しいですね。こんなところまでおいでになって」
「… 破壊神と共に牢で頭を冷やすといい」
睨みをきかせ、そう吐き捨てる。しかし黒冬は、絶えず薄い笑みを浮かべ、何の抵抗も無く白馬の兵士達と共に蒼鏡城に向かった。
蒲公英を卒倒させた神は苛立ちながらも、何の気なしに槍を見る。
と、ぎくりと動きを止めるた。
蒲公英が握っていた槍の柄の部分が少し黒く焦げ、所々溶けたようになっていた。
「知らず、破壊神が息をしだしたか。 末恐ろしいことよ」
と、木陰を走り抜ける影があった。
彼は反射的にその槍をさっと木陰に投げたが、最早その影は遠く、東を目指し消えるようにいなくなった。
金雲と、紅き山が燃える八朔の地の境は、沈黙した神まで消え、まるで何も無かったかのように止まる季節の時を刻むのだった。
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…#27へ続く▶▶▶
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