#29【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
閉鎖する事が決まった、母子山(ぼしざん)白天社(はくてんしゃ)は、慌ただしくも荷造りと後始末を終え、皆、訓練場に集まり就寝した。
師と弟子が同じ場所で眠る事は初めての事で、皆一様に興奮状態であったが、明日も朝早い為に、訓練場は思ったより早く寝息に包まれた。
しかし、臥待は寝付く事ができず、安寧の庵である「星」に何か残っている文献などは無いかと足を向ける。
思った以上に何もない部屋に肩透かしを受けた臥待であったが、誰も居ないはずの廊下に人影があった。部屋の障子に映る影は白天社には絶対に入れない男の風貌をしており、何の躊躇も無く勢いよく開く障子に、臥待は身構えた。
開いた障子の向こうから遠慮なくやって来た男は、春の七草の精霊である仏の座(ほとけのざ)だと名乗る。
春の精霊と聞き、臥待は更に警戒をするが当の仏の座はなんてことない顔をして、臥待が安寧の庵にいる動機を聞くと、隠し戸から本を一つ出し、臥待に手渡した上に、「今は出ない方が良い」と忠告までして来た。
安寧(あんねい)に言われて様子を見に来たようである仏の座と、不思議なやりとりをしていると急に障子の向こうが異様なほど明るくなった。
不審に思い障子を開けると、臥待の目に白天社が燃えている光景が映った。
仏の座はその行為をした存在を「烏(からす)」とほのめかす。
仏の座は炎に向かって走り出す臥待を止めるが、自らの命よりも他人の命を優先して行動する臥待に興味を持ち、手を離すと、仏の座自身もまた導かれるように動き出すのであった…。
続きまして天の章、第二十八話。
お楽しみください。
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#29【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
白天社は轟音を立てて全てが燃えていた。
呪詛を担当する居待(いまち)には分かる。
この炎が幻でも、ただの火でもなく、呪詛のかけられた意志ある炎だと。
他の師たちはまだそうとも知らず、必死に生徒を避難させていたが、数人が炎に巻き込まれ、姿が見えなかった。それに気がついたのは彼らを全て外に出し、風上の山の下に避難させてからであった。
広間に師たちが集まり、輪になって、轟音に負けぬ声で言葉を交わした。
「これで全部なのか?!」
「点呼を取らなければ、分かりません! しかし、ここも危険です!早く移動しないと!」
「…臥待殿は?」
「臥待ー!!」
見渡せど、彼女らしき姿は影も形も見当たらなかった。
「臥待殿ぉー!」
方々、師が叫ぶが、返事はなかった。
誰とは無しに、 自然と長の十三夜(とみや)に皆の視線が集まる。
「皆、撤収する。 行くぞ」
「そんな…」
十三夜の言葉に口々に呟き、沈黙が襲う。 が、建物の一 部が倒壊する音がすると顔をそむかせ、一同は階下に向け歩を進めた。階段の下には生徒達が自分達を待っている。あまり心配をさせてはならない。
が、こんな時に誰かがこちらに向かって階段を上がってくる影があった。
生徒が不安で戻ってきたのか?
それとも、いつのまに逃げ切っていた臥待か?
はたまた、近くの者が見に来てしまったか?
皆は目を凝らすが、どうやらどちらも違う。
目の前に現れたのは、中年の男で姿は武士のようであった。
が、はっきりと人間ではないニオイのする者であった。
「足らんな…」
人数を数えるように目を走らせると、男は白い無精ひげの顎を、指先まで隠れる手袋の手で撫で付けた。
武装らしい武装ではない。一見渋い男であるが、どうにも胡散臭い雰囲気があった。
茶と黒と白を基調とした 羽織や絞りはとても動きやすそうでもある。
その雰囲気は、加えて、只者でないことを物語っている。
「まあいい。一手、交えようではないか」
少し楽し気でもある低い声で男はそう言うと、抜刀してゆったりと構えた。
まるでやる気がないようにも見える。
が、隙は一切ない。とても不気味な存在だった。
師達は言葉を失い、唖然と彼の行動を見ていた。
そんな中、十三夜だけは我に返り、男に声を発する。
「貴殿、何者だ?ここは炎に巻かれよう。我らも避難せねば危うい」
十三夜は、冷静すぎるくらいに冷静にそう言った。
しかし、男は笑うばかりだ。声をくぐもらせて笑っている。
「それは構わんよ?私が抜けたら、避難もよかろう。ほれ」
と、彼は空いた左手を誘うようにひらりと波打たせた。
「ふざけている場合ではないのだ」
十六夜(いざよい)がそう言うと、八日月が十六夜に斬りつけた。
ばったりと前面に倒れる十六夜。
その後ろで、刀の血糊を拭おうともせずに立つ八日月は、十六夜を跨(また)いで男のほうへと歩いていった。
「ご苦労だったな、佳客(かきゃく)」
「は」
八日月は彼の元へ行くとまるで別人へと変わった。
男か女かも分からぬ、精霊と呼ぶに相応しい出で立ちと容姿をしていた。
八日月だった佳客と呼ばれた者は、白い衣を青い帯で留めている。
佳客は男に一礼すると闇夜に消えていってしまった。
黄の粉が舞う。
「貴様…八日月(やづき)を…どうした…?」
二十日月がやっとの事でそう呟くように言うと、男は肩で笑った。
「あれは十二客の一人。闇の精霊だ。お前らの言う八日月という者ではない」
どういうことかと皆が十三夜を見る。
しかしその答えも、十三夜が首を振るだけで十分だった。
「怨むか?私を。しかしそれは筋違いであろう。元を辿れば、 逃げ回る五天布や、安寧殿の力をこんな形で封印した龍に怒るべきだ。違うかね? 安寧殿復活のため、主らの命がどうしても必要なのだ。この大地に住む全てが、主らの命だけで救われる。そう思えば安かろう?」
他の者は倒れた十六夜を囲んでいる。
すると、彼女から透明な丸い光が出てきた。
そしてそれは、男の首に下がる袋に吸い込まれていく。
「これで二つ目、か。全部で十あるのだ。ここにおるのは…やはり七人か…。ふむ。数が合わぬが、もう一人はどうしたのだ? 十重布よ」
「ふざけるな。 返り討ちにしてやる!」
刀を持つ二十日月、居待、立待(たちまち)が前に出た。
後方支援は式を懐から出すなり、すでに動き出している。
しかし、八日月、十六夜、臥待がいないのはとても痛い。戦力が大きく欠けていた。
「私とて、すんなりと主らの力を頂けようとは思っていないが…、主らと戦うほど、暇ではないのだ」
三人が同時に切り掛かるが、彼は二人を刀で、もう一人を腕の防具で剣筋を止めてしまった。
二十日月、居待、立待は決して素人ではなく、千蘇我の治安を長らく守ってきた腕前を持っている。
しかし今、目の前の男は、その三人の剣戟を受けながらも、ピクリとも体幹が動かなかった。
まるで、山に切りかかったかのような感覚。
男は眉尻を静かに上げた。
「分かるか?」
立待が震えた。
弾き返されると三人の頬や首に血が飛んだ。
しかし、自分のではない。
生ぬるい血を拭うと、三人は首を傾げ、お互いの姿を見る。
自分たちも特に怪我はしていなかった。
前衛の行動が止まったことに後衛は戸惑った。
男は、今思い出したかのようにその刀の血を静かに拭っていた。
「これは、何故血が?」
「主らの力はなかなかに厄介なのでな。封じさせて貰った。その最中、可愛い邪魔が入ってな。ざっと四、五十いたか。まあ、そのうち金雲にでもなって階下も綺麗になるだろう」
その場の人間が一斉に黙り、皆、動きを止めた。
数拍置くと、師たちはあまりの怒りに震えた。
「貴様ぁ!まさか、まさか…!?」
「何という…酷い!」
下には生徒がいた筈だ。
つまり、自分たちの帰りが遅いからと心配して、間違っても誰かが階段を上がってくるという事は…ない。
十三夜が式の紙を空に投げるが、それは紙切れとして地に落ちていった。
自身の身になにかされたのではないだろう。
恐らく、 この土地の一部に力を封じる細工をこの男はしたのだ。
それを見た生徒は…。
十三夜は無表情に地に落ちた式を見ていた。
男は落ち着いていた今までとは一変、目を吊り上げ、声を荒げた。
「吼えるだけか!そうして吼えるだけなら犬にもできる。泣けば救われるか!?正義を掲げれば世が救われるか!?貴様ら人間はいつだってそうだ。自分では被害者ぶりおって何もせず、口やかましく言うばかり!善だ悪だと泡を飛ばす!」
ここにいる全ての人間が絶句した。
男は「はっ」と、嘲笑する。
青白い顔に、炎の光が照りつけ、凹凸の影は黒々と怪しく長く、揺らいだ。
激しさを増す炎の中、男の顔は修羅の如く豹変したが、それも一瞬のこと。
皆が黙るのを見回すと、姿勢をまた緩めた。
建物が崩れる音がする。
「本来あるべき姿とは程遠いこの世で、知らず蝕まれる我ら千蘇我の子は、今こそ奮い立ち、元の世界に戻るべきなのだ」
「元の…世界…?」
誰とはなしに呟く声に、男は若干呆れたような顔をした。
不穏な空気が流れる中、しばし睨み合いとなった。
背中が巨大な炎の固まりとなった白天社の熱で熱いのに、骨身から底知れぬ寒気を感じ続けている気がする。
と、男は 一瞬目を左の林に滑らせた。
「ふむ。役者も揃ったようだな。まず、お前らはもういい」
力を封じられた後衛は勿論、底知れぬ畏怖を感じた前衛までも、彼に抗う前に斬り倒された。
この場に残るは、十三夜、二十三夜のみだった。
二人は愕然とした。
何という力の差だろうか?力を封じられたとはいえ七人もいたのが、もう生きている者は二人しかいない。
二十日月がびくりと動いた気がしたが、それだけであった。
覚悟を決め、二人は成れない刀を抜刀した。
とはいっても、懐刀くらいしかない。
「まだ抗うか」
彼は呆れたように手を広げる。
やけに炎の燃え盛る音が大きく耳に響いてくる気がした。
「確かに…我らは弱いかもしれない…。だが、こんな形で手に入れた平穏とは…平穏とはなんなのだ!?分からない!我らには神の考えることが分からない!」
二十三夜は泣きながら叫んだ。
生徒には死んでも見せないような弱い部分であった。
普段は律しているが、師たちもただの人間なのだ。
そういう集まりであった筈だ。白天社の人間というのは。
「主は分かっているのだろう? 十三夜」
背後でまた、建物が崩れる音がする。
もう、熱いのか、 寒いのか、天地がどちらかも考えられない。
ただ、十三夜はその中で、一つの確信めいた推察があった。
その合致が余りに十三夜の中で「これこそ答えだ」と主張するものだから、視界がぶれるほどの動揺を感じていた。
「死も、病も、格差も無い世界。喜びしかない世界であろう…?」
はっと、二十三夜が十三夜を見る。
「十三夜…?」
「半端な世界なのだ。今のこの千蘇我は。 神になりきれぬ神と、精霊と、人間が悪循環を生んでいる。本来のあるべき姿ではない。しかし、その世直しとはいえ、私は…悲しい」
十三夜は初めて涙を浮かべ、感情を露わにした。
明日などと言わず、今日解散すべきであった。
何故、このようなことになったのか?
十三夜は、夜空を見上げた。
竹林がざわめき、この広場は昼間のように明るい。
だからか、夜空が白んでちゃんとは見えないが…。
遠く、 夜月と星がとても綺麗な気がした。
「十三夜!」
その時、夜闇を割き、誰かが自分の名前を叫んだ気がした。
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…#30へ続く▶▶▶
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