#10【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
蘿蔔(すずしろ)が犬御神(いぬみかみ)と話し終えた後、直ぐに蒲公英(ほくよう)と蘿蔔の間に割って入って来たのは、秋の七草の精霊である朝顔(ちょうがん)だった。
その後ろからは同じく秋の七草の尾花(びか)がやってきて、彼らは、「とある方の命により犬御神を保護する」と言う。
蘿蔔が朝顔と一閃、刀を交えると蒲公英は尾花に連れられてこの場から消えていた。
しかし、ほぼ神と同等の力を持つ蘿蔔はそれを見送り、尚且つ、戦いも継続せずに、一人残り死を覚悟する朝顔に「去れ」と言う。
斬る価値が無いとでも言うのかと、朝顔が激高し食い下がるも、
「我々には力と時間があり、お前たちには無いだけ」
と言われ、蘿蔔の方から去られてしまう。
朝顔は不可解な蘿蔔の行動に戸惑いながら、折られた矜持を引きずりつつ、悔しさの中で、先に主の下へ行った尾花を追いかけた。
蒲公英の身は謡谷(うただに)を越え、冬の領地「維摩(ゆいま)」へと向かっていた…。
続きまして天の章、第十話。
お楽しみください。
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#10【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
尾花(びか)は後ろを振り返った。
のろのろと蒲公英が歩を進めている。
それもその筈。
ここは雪降り積もる北の極寒、「維摩(ゆいま)」の地。
うつ田姫の恩恵満る大地だ。
雪交じりの湿った風が吹きすさぶ度に、蒲公英が紅の襟巻と紺色の羽織をはためかせ歩いていると、
尾花は地団太を踏んだ。
「む…!君!いや、犬…いや!蒲公英様!こんなチンタラ歩いていたら、日が暮れるどころじゃない!年老いて死んじまう!」
尾花は苛立ちと困惑に頭を振り、そのススキ頭に降り積もった粉雪を、犬のように乱暴に振り払った。
「ならば答えてください。私を冬の王の下へ連れて行く理由を。こんな夜遅くに外出など、本来許される事では無いと言うのに」
蒲公英も困惑で顔を曇らせる。
その顔を見て、尾花は「う」と言葉を詰まらせ、頭を掻いた。
「そりゃ…そうなんだが…。いやだが、今話している時間は無いのだ!俺の脚ならすぐに夜鏡城(やけいじょう)に辿り着ける!無茶苦茶危険だから、取り敢えず俺に任せてくれ!君の歩調ののろさで、俺の頭がハゲる前に!」
「…斯様にお話しができるならば、要点だけおっしゃられても大差無いかと…」
蒲公英は白い大きな溜息をつきながら尾花に言うと、いい加減痺れを切らした尾花は、一足飛びで蒲公英を担ぎ上げ、涙目で叫んだ。
「朝顔の死を無駄にしない為にも、今ここで君を連れ去らわれるわけにはいかん!許せ!」
「俺を殺すな」
尾花が叫んだ瞬間、涼しい声が降って来たかと思うと、それと同時に尾花の脳天にもゲン骨が降り注いできた。
尾花は声も上げず、手で頭を押さえている。
驚く蒲公英が横を見上げると、謡谷で蘿蔔に刀を向けていた男が、淡い橙の燐を纏い立っていた。
しかし、先程と違う点があった。
それは、素顔を晒しているという点と、最初に会った時よりも更に陰気な顔をしている点だ。
蘿蔔と何かあったのだろう事が容易に伺える。
朝顔は淡い紫の前髪を人差し指で乱暴に払った後、蒲公英を見ずに尾花に鋭い目線を向けた。
「蘿蔔は来ない。だが、女神の事だ。何があるか分かったものではない。急ぐぞ、尾花」
「そら良いけどよ…。お前…。長の脳天勝ち割る気かって…っ、お前…」
未だにススキ頭を抱え悶絶する尾花。
朝顔は黒装束の紐を徐々に強くなる雪風に煽られながら、後ろを振り返り…。
また尾花に目を向け、声をひそめて言う。
「女神だけじゃない。維摩は夜が更(ふ)けるにつれ、黒冬様(こくとう)の支配下となる。天橋立(あまのはしだて)の事もある。このままぐずぐずしていたら極寒の洗礼を受けるぞ」
「ったく。だから俺は急いでいたのだ!ま、過ぎた事をうだうだ言っても仕方ねぇや!行くぜ!」
尾花に抱えられたままの蒲公英が口を開こうとすると、隣を行く朝顔と目が合った。
戦い終わった彼の目は、出会った時より殺気立ち、黒目が小さく見えた。
頬に一筋の赤い線があり、血が滴った跡を乱暴に拭った跡がある。
その様子は、暴れたりない、腹を空かせた獅子のような、はち切れそうな気迫があった。
しかし、それがありながらも、心まで凍てつかせているかのような無表情に見える彼の顔に、蒲公英は初めてただならぬ事が起きていると、
何となく理解ができたのだった。
北の大地は「維摩(ゆいま)」と呼ばれており、数多くの神話が残る地としても知られている。
雪深さが人々の足を自然と遠のけ、秘境となった個所も幾つかある。
うつ田が袖を振る八朔の地は、雪の白粉がきめ細かに広大な大地に降り注ぎ、昼ともなれば発光する大地で包まれる。
うつ田が吐息は凛と澄み、清らかな風が凪ぐ。
舞い上がる粉雪は日光に応じ、サァと輝いた。
しかし、それは昼間のお話し。
夜ともなれば北の守護者が目を覚ます。
維摩に不審な者は入りし時は、容赦の無い吹雪を見まい、その刃で刺すような冷気でたちどころに血の気を奪う。
ゴウゴウと唸るような遠方からの風音に、知勇を凍らせる。
精霊や神でなければ、雪の大河に足を取られ、凍らされてしまうだろう場所。
維摩の民も、冬の夜には外に出歩くなどという無謀な事はしない。
蒲公英の目の前には黒く大きな城が聳え立っていた。
何度か足を運んだことがある「夜鏡城(やけいじょう)」と呼ばれる城だ。
維摩を統治する颪(おろし)王は、維摩の地の姫の父でもある。
これは大変稀な事で、四季は四季、統治は統治で代々転生があるのだが、主に四季の姫は子々孫々力が受け継がれていくので、自然と世襲になっている。
けれど、統治の方は統治する力の者がどこで転生するか分からないので、先代が亡くなったら急いで探さなければならない。
転生者が見つかれば、養子として迎え入れられ、次期王となるのだ。
見上げるほど大きく、太い柱を持った鳥居が、白に向かう石段と共に奥の方まで伸びている。
その何十もある鳥居の足元にはボウボウと音を立てて闇を照らす松明が焚かれていた。
ちらちら舞う火の粉の群れが、白い鳥居の肌を濡らし、夜鏡城、別名烏城(うじょう)を焦がさんばかりに取り巻いている。
その様子は、火の海に聳え立つ城のようであった。
が、そんなことはまるで意にも介さず、夜鏡城は威風堂々の貫禄で建っていた。
やっと尾花が蒲公英を抱えるのを止め、蒲公英を地に降ろすと、蒲公英は二、三歩前に出た。
夜鏡城の夜の顔を見るのは初めてで、思わず見入ってしまったのだ。
「おーい。姫が待っているのだ。待たせたら大変なのだぞ、君」
蒲公英の少し先で、朝顔と尾花が振り返り、吹雪の合間にそう言った。
「姫?」
怪訝な顔をして蒲公英が襟巻を指で直しつつ言うと、朝顔が淡々とした口調で言う。
「うつ田姫ですよ。今、城の方にいらしてくださっているんです。今回の保護も、姫と王の決断なのですよ。犬御神様」
なるほど。天気が荒れているわけだ。
四季の空の模様は、四季の姫の御心次第。
蒲公英は松明の光に浮かび上がる黒煙のような空を見上げ、納得した。
振り返れども闇と雪。
目の前には齢千歳は越えているだろう精霊。
しかも、姫と王のお呼びであるなら、行かないわけにはいかない。
蒲公英は覚悟を決めた。
「そういう事でしたか…。そうですね。うつ田サマが待っているなら、急いだ方が良いですね。確かに。あんまり遅いと、張り手が何発来るか…分かりませんからね…」
蒲公英が良く知るうつ田を思い浮かべ、遠い目をすると、精霊二人は、もう少し先を歩いたところの階段で振り返り、「張り手!?」と、身を強張らせた。
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…#11へ続く▶▶▶
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