#12【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
冬の大地維摩(ゆいま)にある、夜鏡城は雪が降る中でも煌々と松明が燃え、
昼間のように明るく、兵士達も活発に動いていた。
秋の七草の精霊朝顔(ちょうがん)と尾花(びか)の案内により、
ひと際明るい部屋の前まで行くと、いつからそこに居たのか、
寒空の下蒲公英を迎えようと待っていた冬の四季の姫「うつ田姫」が、
蒲公英の姿を見るや、駆け寄り、無事を確認して安堵した。
うつ田姫は佐保姫と同じく、蒲公英の良く知る人物だった。
この母子山(ぼしざん)から蒲公英を冬の維摩の地へ連れてくる話しは、
このうつ田姫とその父、夜鏡城の城主である颪王(おろしおう)が
立てた計画であり、一刻を争うと、早速うつ田姫に連れられて、
城のごく一部しか知らない地下へ案内される。
そこは特殊な仕掛けがしてあり、
大地の女神の子孫である安寧(あんねい)の目を誤魔化せるのだと、
うつ田姫は言う。
安寧の目を誤魔化せる部屋に入ると、そこには
秋の七草の精霊達と、颪王が蒲公英を待っていた…。
続きまして天の章、第十二話。
お楽しみください。
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#12【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
「そうか…。春の七草…。蘿蔔(すずしろ)が動いているという事は、他の精霊六人も封印を解かれ、活動を再開しているに違いないな」
颪王は、穏やかに話しを進めた。椅子に肘をかけ唸っている。
「して、如何にしてその蘿蔔を退けたのじゃ?大手柄じゃぞ」
うつ田姫が嬉しそうに尾花と朝顔を見ると、尾花が頭を掻く。
「あ、いやぁ…。その、向こうに戦う気が無かったような…あったような…」
歯切れ悪く尾花が言っている途中で、朝顔が口をはさんだ。
「全くの幸運です。見逃してもらったとしか、言いようがありません」
普段からあまり喋る方ではない朝顔であったが、
あまりの不機嫌な態度に何か蘿蔔と朝顔の間だけで何かあったのだろうと、
誰もが押し黙る。尾花は肩を竦めた。
すると、颪王が手を二度、叩いた。
「蘿蔔の不可解な行動も気になる所ではあるが、肝心の誕生日が此度の事を理解しておらんだろう。この場を持って一連の事柄を一度整理するとしよう。藤袴(とうく)」
「は」
白と黒の髪を烏帽子に纏めた藤袴は、
一度頭を下げると、初めて一直線に誕生日を見てきた。
ぎくりとするほど澄んだ瞳に、蒲公英は改めて彼らが精霊なのだと再認識した。
それにしても、周りにいる精霊達を見回してみると、
精霊の中でもあの蘿蔔という男はかなり良い容姿だという事が窺い知れる。
精霊の中ではどうかは分からないが、
人間が見ればあの容姿端麗さは生き物の中でも群を抜いている。
そんなくだらない事を考えていると、藤袴は蒲公英に向け一礼し、話し出した。
「突然のお呼び立ての非礼、お許しください。また、乱暴な手段での対応も重ね重ねお詫び申し上げます」
「あ、ど、どうも…」
「しかしながら、事はこの千蘇我だけに留まらぬお話し故、急を要しますれば、犬御神様には何卒ご理解頂けましたらば幸いに存じます」
余りにも丁寧な前置きに気遅れした蒲公英は、ただ頷くしかできなかった。
この地において、蒲公英はこのような待遇を受けたことが
生まれてこの方無かったため、
どうしたらいいのか、皆目見当もつかなかった。
精霊達の“早く進めろ”という無言の圧を、藤袴は見向きもせず、
片手で煩わしい蠅を払うかのように手を振ると、
流れるような動きで幾つもある巻物の中から一つを掴み、開いた。
そして、蒲公英を見ると少し目元を緩ませる。
「私は秋の七草と呼ばれる、齢四千歳の集団の参謀をしております、藤袴(とうく)と申します。どうぞ宜しくお願い致します。さて、つい数週間前に我々は白織様(しらおり)と、黒織(くろおり)様に呼び出されまして…」
藤袴は言葉を途切らせた。蒲公英が一つも呑み込めていない顔をしていたからだ。
「藤袴…。蒲公英は“まだ十と四”じゃ。七草の事も、白織などと言う言葉も、知らぬ」
「なるほど」
藤袴は持っていた書類を香の雲が流れる床に置いた。
そして、少し思案したかと思うとすぐに顔を上げ、蒲公英に聞いてきた。
「蒲公英様。千蘇我に昔から言い伝わる御伽草子、如月の祝典はご存じでございましょうか?」
「はい。それは…」
藤袴は巻物を一つ拾い上げ、手早く広げる。
「今から約六千年前。簡単に申し上げますと、龍と麒麟が女神をかけて争ったという史実なのですが…」
藤袴が躊躇なく“史実”と言った事に蒲公英は驚くが、
藤袴はそんなものは気にも留めずにサッサと次へ進んだ。
「その時の戦いというのは、神が約千も集まり行われた激しいものだったと言われておりますが、各四季の姫の屋敷にて表に出ない書物を検めてみますと、それがどうもそれほどの神が居たかどうかは定かではなく、居たとしてもそのほとんどが抹殺されてしまったという結論が出ております。」
藤袴は顔を上げ、蒲公英を見る。
「この如月の祝典の戦場は、五人の神によりほぼ支配されていました。そしてこの千蘇我の地というのは、その内の一人が糧となり、誕生をしております…。その神の名を犬御神と言います」
ドクリと、蒲公英の心臓が鳴る。
自分の意志ではない所で、勝手に体が反応する。
ヒヤリとしたものが背に触れたかのように、
ゾクリと全身が波打った。
「藤袴殿。…その、犬御神とは…私そのものなのか?それとも、私の中に居る者なのか?」
誰とも言えぬ戸惑いの言葉が漏れる。藤袴も少し表情を変えた。
「これは驚きました。そのような質問を頂くとは…」
「私も今日初めて聞いたのです。あの、蘿蔔という春の精霊から」
「…」
藤袴は眉間にしわを寄せて沈黙をした。そして、ここにいる誰もが口を開かなかった。
「その蘿蔔という精霊は、ほんに安寧の配下なのか?」
うつ田姫がそう呟く。
「ひとまずは、そのご質問には後ほどお答えしたいと思います。まずは、先を進めさせていただきます。各姫方の屋敷からかき集めました書物と、姫様方に協力いただき、過去視と先読みをして頂き、我々はある仮説を立てました。そして、安寧がその仮説の通りに動いた今、その仮説はほぼ事実なのではないかと判断しております」
藤袴はそう言うと、手を出し、人差し指を天に向けた。
「一つ。龍と麒麟は天女を巡って争いなどしておらず、むしろ、何らかの諍いにより龍と麒麟が天女と争っていたと見ています」
「二つ。ここが地上ではなく天界であり、神々が住む空であり、地獄の地盤が千蘇我の下界にあり、そこが地上である」
騒めく部屋で藤袴は三つ目の指を天に向けた。
「三つ。安寧殿は女神の子孫ではなく、齢七千歳の、大地の女神本人である。と、考えられます」
部屋は水を打ったように静かになってしまった。
古来からの伝説上の三大神の一人が、
まるで隣人のように生活をしていたなどと、誰が想像できようか?
「確かに…」
蒲公英がそう呟くと、部屋の全員が蒲公英を見たので言い淀むが、
颪王が正面で頷くのが見え、続きを話し始めた。
「春の精霊の蘿蔔…と言う者も、世界は二つあると言っていました。そこと近い将来諍いが生じ、あの惨劇が再び起こる…とも。地獄の地盤の事は、安寧様が少し口にしていましたので、もしやとは思っておりましたが…」
「他に、安寧殿は何か言っておりましたかな?蒲公英様」
蒲公英が言い終わるか否かで、藤袴は問いかけてきた。
「記憶に自信が無いのですが…、御伽噺は意図して曲げられた事実だというような事ですとか…。三大神がそれぞれに心の中に何か譲れないものがあり、諍いが生じたが、それも…愛故であったと…」
「愛故…?…そうですか。他にはございますか?」
蒲公英は腕を組んで目線を落とし、記憶を辿る。
「その…御伽噺には居なくてはならなかった人物がいて、如月の祝典が如月の祝典であった由縁、地獄の地盤が出来、今日がある理由の全てが…、あー…、犬御神に繋がっていたと…。それで春の精霊の蘿蔔は私を犬御神とハッキリ呼んだのですが…」
藤袴は目を瞑り、腕を組んで黙り込んだ。
その沈黙は少々長く、周りの人間が隣同士で話出し、少しざわつく。
と、大声ではない上に、気だるげな声であるにも関わらず、
良く通る声の秋の七草の一人が話す言葉が聞こえてきた。
「しかし、どうしてまた蘿蔔が安寧に不利になるような事を言うんだろうかね」
彼は、少し派手な赤茶の髪を持っている、優男風な男で、
軽い口調で誰と話しに問いかけている。
「まあ、蘿蔔の話しはさておき。ひとまず通しで整理すると…ですね」
藤袴は姿勢を正し、目を開けると彼が知りうる最初からの流れをおさらいし出した。
今から七千年前。
大地の女神である安寧はこの地を創る。
その上には龍が天を創っていた。
二つの世界それだけで当時世が巡っていた。
何がどうした事なのか分からないが、
土地や力、覇権争いなどからお互いの間で亀裂が生じたけれど、
その後、和解し、融合した。
それから暫く後、新たな神、麒麟が生まれ、
絶妙な釣り合いで保たれていた糸はぷっつり切れ、
龍・麒麟対女神となった。
そこまで言うと、藤袴は手に持っているものではない巻物を取ろうとするが、
何度持ち直してもお目当てのものが無いのか、香の雲をかき分け、
書物をバタバタと全て確認すると、サッと隣の女性の方を向き、問いかける。
「撫子(なでしこ)。…大犬の巻はどうした?」
「…」
撫子と呼ばれた薄桃色の髪を持つ女性は、
小さく溜息をついて首を横に振った。
髪は腰まである。彼女は長いまつ毛を数度瞬かせると、
「恐らく、繁縷(はこべら)よ。貴女の部屋に、沢山楽しそうに試行錯誤した跡があったから」
「あの…陰険狐男…!来ると思っていたが大犬の…っ!いや、もういい!ここは話をすすめよう」
いいと言う割に、藤袴は憤りを露わにし、息を荒げている。
するとそっと、うつ田姫が蒲公英に耳打ちした。
「繫縷(はこべら)という者も、春の七草の一人でな。あ奴の言った通り、胡散臭い男でのう。春草の精霊の中でも妙術に長けておるそうで、怪しい術の開発に余念がないとか」
と、言い終わるや否や、“う~ん”と、尾花が少し首を傾げた。
「おっちゃんが出し抜かれたのは二の次三の次にしても、…撫子の術が破られたってのは…ちょっと分からんなぁ」
枯れススキのような頭の上の方で結んだ髪を揺らす尾花。
彼の口ぶりからするに、撫子という秋の精霊は術に長けた者なのだろう。
すると、少し遠くであるにも関わらず、撫子がこちらを向いて眉を顰め、言った。
「私の術に落ち度は無かった。でも…、無理。正気の沙汰ではないわ。あいつ…、術を破るために精霊の血を沢山使うからって、自分の腕を千切ったのよ…?部屋は血の海。その中に一本の千切れた腕!本当に、サイアク」
誰かが声を上げるが、その者以外も同じような気持ちだった。
誰もが嫌な顔をしている。
一つの書物と嫌がらせの為に、
自分の体を躊躇なくかなりの深手を負わせるなど、
狂人以外の何物でもない。
が、藤袴はそれを聞いて袖をまくりだした。
「ご苦労な事だな!では我々は今度から、重要な資料は頭に入れたら、火にかけるか口に詰め込むか、どちらかにさせて貰うとしよう!」
今回最大の被害者である藤袴は、半ばやけくそにそう言い放った。
彼の部屋は、一体今、どうなってしまっているのだろうか?
どこからか小さな声で
「“我々” と括(くく)らないでくれ…」
と声が聞こえた。
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