​#17【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮

​■前回のあらすじ■

​冬の維摩の地、夜鏡城(やけいじょう)地下での会議を切り上げた蒲公英(ほくよう)は自室で休んだ後、冬の地久々の晴れ間の出る朝を迎えた。

​初めて母子山(ぼしざん)にある白天社(はくてんしゃ)以外で寝泊りをする事になった蒲公英は、起き抜けに暫くぼーっとしていたが、着替えて屋根に登り、昨日の事とこれからの事を考える事にした。

​すると、秋の守護者、白秋(はくしゅう)が朝早くから同じく庭に出てきており、挨拶を交わす。しかし、白秋はいつも通りの顔で挨拶をするが、彼の装いは昨日と打って変わり、まるでこれから戦いに行くかのように、軽装から正装へ。一部鎧を付けた姿で、刀を佩(は)いていた。

​その事に怪訝そうに蒲公英が彼の装いを見ていると、「とても悩んだが決心をした」と言うや否や、白秋はその場で蒲公英に向かい跪(ひざまず)いた。

​驚く蒲公英に白秋はこう向上を述べる。

​「古来より貴女様に何事かあらば、命を賭そうと硬く決意しておりました」
​「三大神の支配が変わろうとも貴女様だけが我が主。この白秋、今、誓いを果たす」

​詳細は話せないけれど、蒲公英を守る為に独りで動くと言い、白秋は去って行った。
​あまりに急な事に、蒲公英はまた置いて行かれたような感覚となり、白秋が消えた後も彼が居た方を見ながら呆然としていた。

​そこに、この維摩の地の王であり、この夜鏡城の主にしてうつ田姫の父である颪王(おろしおう)が入れ替わりにやって来て、蒲公英に話しかけたのだった。

​続きまして天の章、第十七話。
​お楽しみください。


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​#17【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮


​「花雪(はなゆき)とは、仲がいいようだな。 蒲公英」

​突然の颪王(おろしおう)の親しげな言葉に、蒲公英はしどろもどろしながらも、体を硬く正した。
​花雪とは、うつ田姫の本当の名である。


​「は。うつ田様には大変良くして頂いておりまして…」


​言い切る前に颪王は含み笑いをし、肩を大きく揺らした。
​悪戯好きな王としても知られている彼だが、考えが柔軟で信頼も厚く、おおらかでどっしりと安心感もある。彼を悪く言う者の話しなど聞いたことが無いほどの王。それが颪王だった。


​しかし…。どうしてその王から真面目で不器用な花雪が産まれたのか?
​そこがいつも、蒲公英は解せないが面白いと思っているところでもあった。


​「私と花雪は滅多に会えぬ。 文やたまの休みに会ったりするのだが…良くもまあ、父親そっちのけで主の話ばかりだ。主の話でなければ、黒冬(こくとう)の話だろうがな」


​蒲公英は緊張している中でその言葉に更に恐縮した。
​冬の地を守護していると言う、五天布(ごてんふ)の1人黒冬は、蒲公英はまだ面識が無い。とは言え、彼も五天布なのだから神の領域の者である事は間違いない。そんな者と同等に、さらに言えば、颪王の話題よりも自分の事を話されているのかと思うと居たたまれなく、蒲公英は小さくなった。


​「も、申し訳ございません…」


​颪王はその言葉に大笑いすると、「父親の醜い嫉妬だ。蒲公英。冗談だ」と言ってまた笑った。
​蒲公英は“父親”というものが“母親”以上にどういうものか分からなかったので、そういうものなのかと、一先ず安堵した。


​すると、また深々と雪が降ってきた。
​蒲公英と颪王は空を見上げる。


​もう卯月に入るというのに、冬の維摩の地は花一つ咲く様子を見せず、隙あらば吹雪いている。


​「白秋(はくしゅう)殿曰く、このような苦労や悲しみというのは嘗(かつ)ての 千蘇我には無かったそうなのだ。神はもっと神らしく、人はもっと人らしく。自由に行き来し、邪な者もいなかった…」


​眉根を寄せた王は目を一度戻り、そして蒲公英に瞳を向けた。


​「如月の祝典が終わって数年でこの大地はがらりと姿を変えた。見るもの触るもの全てだそうだ。要らぬ苦労をしている千蘇我の者達が不憫でならない。そう、白秋殿は言っていた」

​「以前の千蘇我の地と今とでは、そんなに違うのですね…。その変貌と今回の件は何か関係が…?」


​蒲公英の問いに、颪王は頷く。「恐らくそうだろう」と。


​「安寧殿は胸の内を明かしていない。しかし、同時期に下界側も動いているのも気に掛かる。地上に密偵を送ろうにも、そうおいそれと行ける場所ではないだけに、我々の行動というのは限界がある。白秋殿を始めとした、神に等しい方々に動いていただくしかない。それが我々の今の現状なのだ。蒲公英」


​颪王は蒲公英の方を向く。


​「安寧殿はそなたを始め、多くの者達を屠(ほふ)る心積もりであり、その心を明かさず千蘇我と下界で大規模な諍いを起こそうとしている。このままの状態で安寧殿に協力する事はできん。維摩の地の黒冬も、私の大切な人物。みすみす命を奪わせる事など到底できん。私は白秋殿の提案に賛同した。 出来る限りの援助をし、安寧殿に反旗を翻す心積もりでいる」


​全身が粟立つような感覚が、蒲公英をつま先から頭の先まで襲った。

​つい先日まで隣同士で良い関係を築いていた人物たちが、夜が明けたら敵同士になるなど、夢にも思った事は無かった。何か言おうにも事が事だけに、蒲公英は言葉を失ってしまった。颪王はまた前を見た。


​「主には酷なことであろう。しかし、そなたの事もそうだが、命を奪うという事がどういう事か?私には安寧殿の心を計りかねる。 春の七草のことも然り。話し合いに持ち込みたいところだが、安寧殿は聞く耳も持たず。大変厳しい状態だ」


​「安寧様は、…一体何がしたいのでしょうか・・・」


​蒲公英が呟くように言う。


​「計り知れない事ばかりで、断言はできぬ。だが、一つだけはっきりしている事がある。安寧殿は戦を起こしたい。それも、中途半端なものではなく、全面的に戦になる戦争よ。それだけは明確であろう」


​蒲公英自身、何度か聞いた言葉だった。
​諍いという事は戦になるのだろう。


​言葉では分かっていたが、そうハッキリ言われたのは颪王が初めてだった。
​颪王は蒲公英を子ども扱いせず、1人の当事者として話しを進めているのだ。


​しかし、何度聞いても納得がいかない。
​安寧の傍にずっといた蒲公英は、これまで見てきた姿と彼女が戦争を起こしたがっている心情が、全く繋がってこなかった。内心は徐々にそうなのかもしれない、とも思い始めているが…。どうしても踏ん切りがつかず、身の振り方を決められない。


​「信じられないのではなく、信じたくない。素直になれないのだろう。仕方の無いことだ…。 しかし、蒲公英。そなたはこれから幾度も選択を迫られる立場となる。これはその始まりの一手と言って良いだろう。故に、敢えて今、そなたに聞く。主はこれからどうする?」


​王は蒲公英を正面から見た。
​蒲公英は驚いて固まってしまった。


​今まで選択を問う者は居なかった。
​それは、この千蘇我の掟である領分を弁えるという暗黙の了解によって、蒲公英が意志を尋ねられるという事がそもそも無かったからだ。


​今誰もが、動くな、触れるなと蒲公英に言っている中、颪王は蒲公英に未来の事を聞いてきた。
​蒲公英は、それがとても嬉しく、また、高揚した。この世界の一員に成れた気がした。


​とは言え、その問いの答えを出すのは簡単な事では無かった。
​選択は無限にあるようにも見えたが、自分の事だけに自体は留まらない事も考えられるため、実質選択肢は片手に余るほどしか無いだろう。その決断への葛藤、責任のある行動を求めらている今。蒲公英は高揚と同時に恐怖した。

​今、蒲公英の目の前には渦巻き荒ぶるいくつかの川があり、そのどれに飛び込むのか…?選んでいるようで、恐ろしく、足が竦む思いがした。

​困り果て颪王を見上げると、王は変わらぬ瞳で蒲公英をじっと見ていた。
​そして、ふと微笑むとその大きな体をしゃがませて、蒲公英の肩に大きな手を乗せた。

​「蒲公英。選択と言うのは恐れる必要はないのだ。どれが今より希望に満ち溢れているか?その光だけを追えば良い。お主の目には、どこに光が見える?」

​「希望の光…?」

​「難しく考えずとも良い。例えば…。そうだな。親が子に人たる芯を強くあれと求めるは当然。 子が親を信ずるも当然。しかしな、他の誰でもない子が親を問うのも、また子の務め。と、私はそう思っている」

​「お、親を、問うのも…子の勤め…。なのですか?」


​颪王はニコリと微笑んだ。


​「私はいつも花雪に問われておるよ。“子に誇れる親であるのか?”と。だから私でいられる。私は完璧ではないんだ。蒲公英。親だから、神だから、王だから、完璧ではないのだ。問う者が在るからそこにいられる。間違っていたら謝れば良い。そうして親や師も一緒に育ってゆくのだ。子は、人は、誰の背を見るか、誰の背を越えたいか、自由に選ぶ権利がある。だから私は、花雪の一番が私であって欲しいと思うから、彼女の歩いて欲しい人としての道をまず私が歩き続けたい。立派でありたいと思っている。それは花雪のおかげ、領民や兵のおかげなのだ。そうして“颪王”という者はつくられているのだよ」


​蒲公英は、目を皿のようにして颪王を見た。
​新しい世界に出会った蒲公英は、口を開けて絶句している。
​吹雪き始めた風に、蒲公英の襟巻が流されたことも気が付かずに。

​颪王はその襟巻を元に戻してあげながら立ち上がる。


​「焦る事は無いと言いたいところだが、結論を急いだほうが良いのは確かであろう。蒲公英、そなたは安寧殿をどう問うのか?ひとまず一人で考えてみると良い。結論が出たなら言いなさい。その後の地固めは、我々大人の役割よ」


​颪王は蒲公英の背に手を当てて、城に入る事を促した。


​蒲公英はその後、どうやって部屋に戻ったのか定かではない。
​子が親を問うという言葉が、蒲公英の頭から絶えず離れなかったのであった。


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​…#18へ続く▶▶▶

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