#19【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
蒲公英(ほくよう)が冬の地、維摩(ゆいま)の夜鏡城(やけいじょう)で颪王の庇護下にある時。蒲公英が寝起きしていた母子山(ぼしざん)白天社(はくてんしゃ)でも暗雲が立ち込めていた。
白天社では大地の女神安寧(あんねい)が居なくなってから早二週間が経過していた。
白天社を運営している十重布(じじゅうふ)達は気が付きながらもその詳しい所は良く分かっておらず、弟子達にも事の仔細をまだ伝えられていない状態であった。
安寧がおらずとも白天社の学びは継続され、いつも通りの日常が営まれているが、一人だけその異常に気が付き、立ち上がろうとしている者がいた。
それは、蒲公英とも仲良くしていた蓮華(れんげ)だった。
彼女は幼少の頃から特異な能力を多々持っており、蒲公英が帰ってこないのを心配し、忌み嫌っていた自身の能力を使い、安否を探った。
その時得られた膨大な知識は、彼女の日常を壊すには十分だった。
古代から語り継がれてきた全ての歴史がひっくり返る情報を過去視から知り、そして今まだその歪が解消されていない事を千里眼で知り、現在進行形でその問題を解決しようと、あらゆる試練がこの世界に降り注ごうとしている事を先読みで知った。
彼女の師である臥待(ふしまち)は、蓮華の能力も知り、秋の守護者白秋(はくしゅう)から委細と助言を貰っていたため、蓮華を正しく導くために彼女を一人社の外に連れ出し、事情を聴いた上で助け船を出そうとするが、そこに招かれざる客がやってきて…。
続きまして天の章、第十九話。
お楽しみください。
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#19【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
「その小船、まさか一人乗りってわけじゃないだろうね?お二人さん」
その声は白天社からこちらにやってくる方向の茂みから聞こえてきた。
顔面蒼白で二人は振り返るが、その姿を見るや臥待は真顔になり、蓮華は心底驚いて首を傾げた。
「千代…どうして? 授業はどうしたの?」
肩についた葉を払いながら千代は苦笑した。
白天社の学びやにて、蓮華と同室の千代は二人に微笑む。
「先生の前で言うのもなんだけど…。授業抜け出すなんてわけないさ。それより蓮華。 その旅、私も行かせて貰うよ」
「え?千代…あの、これから私がやろうとしている事はちょっと…命の危険があるというか…。行ったら戻ってこられないかもしれない道のりで…。えーっと、何と言ったら良いのか…?私は家族が居ないから良いけど…。千代は家族が沢山いるし、嬉しいけど、ダメだよ」
「分かってるよ。けどね。だからってあんたを一人で行かせるわけにも、蒲公英を放っておくわけもないだろう?蒲公英なんて家族も分からないんだ。だったら、白天社という一つ屋根の下で共に暮らす家族で、友達が一緒に行くのが道理ってもんさ」
千代はそう言って胸に手を当てると、蓮華の肩に諸手をかけて言う。
「蓮華。あんたが、夜中にどれだけ頑張っていたか、あたしは知ってる。この私が一番良く知ってる。寝る間も惜しんでわけの分からないの解読して、夢で見たくも無いもの見て苦しんでいたのもずっと見てる。ずっと知ってたよ。あんたがただの少女じゃないこと。その苦労をね。水臭いじゃないか。あたしはあんたのことを、本当の妹のように想ってるってのにさ」
「千代…」
蓮華が涙を流すのを、臥待は静かに観察していた。
感情が現れる稀なる人間。 この地で異能がある証拠であり、理から外れている証拠でもあった。
その事も秋の守護者である白秋から聞いていた。
小さな少女の戦いが始まる。
こんなに小さな少女一人の肩に、酷で重いモノを背負わせる事は、臥待としても気が重い事であった。
ならばいっその事…。友が最後まで傍にいた方が良いのではないだろうか…?
命の保証は無く、帰ってこられる確率はかなり低いが…。
ましてや千代の方は異能もない少女だ。
師として止めるべきなのだろうが、ここに居たから安全とも限らない。
臥待は千代の覚悟は、すでに揺るぎの無いものだと感じていた。
「まさか、止めないよね?臥待先生。ここで引いたら、あたしは生きながら死人も同然の生を送る。そう、確かに感じるんだ」
蓮華は戻ってくるつもりでいる。当然千代もそうだろうと思っている。
自分の能力がいかに特殊であるかは、まだ本当の意味では分かっていない。
そう思うと、千代の方が現実を理解しているように感じる。
臥待は自らも覚悟を決めた。
「いつもの元気はどうした、蓮華。口から生まれたようなお前が随分と大人しいな。千代が共をしてくれるそうだぞ?」
臥待がそう蓮華をからかうと、蓮華は眉を吊り上げた。
「誰が、口から生まれたんですか! 師だって筆の柄と先を間違って握って、何食わぬ顔で気づかれないように持ち直した、持ち前の大らかさはどうしたんです?!」
「はは。見てたのか。…そうか、分かった。君たちの覚悟しかと承った。私が君たちの外出許可を無期限で出そう」
安寧がいなくなって規律が乱れたとはいえ、まだ白天社は機能している。
一人前になるまでに外に出るなど、本来、半端な巫女がしていいことではなかった。
過ぎる力は扱いを間違えれば諸刃となって自らを傷つける。
自らだけなら良いが、誰かを傷つける事も考えられる。
そんな半人前を、師とし外に出すことは許されない事。
もし出すとしたら、よほどの理由がなければならない。
万が一があれば、良くて師としての人生に終止符を打つことも考えられる。
それほどの事だった。
しかし、臥待は覚悟をしていた。
白秋と綿密に会議をしている中で、人生をかけて送り出すと決めていたのだ。
自分は絶対に蓮華の向かう道中には行けない。白秋からも固く止められている。
足手まといになる事はあっても、助ける事は難しい道中だからだ。
なので、そのための予防線を予め考えていた。
「しかし、まだ半人前のお前たちだ。保護者を付けようと思う」
自身より遥かに力があり、絶対的な存在。
身を隠しながら目的を達する事が優先される、彼女らにふさわしい存在。
臥待は考え抜き、白秋の手も借り、やっと援助を受けられた者がいた。
「お願いします」と臥待は呟き、懐から一枚の紙を取り出した。
臥待の授業を受けている言霊の教室の者なら、その紙がなんとなく“封印”の紙だと分かる。
それを、ゆっくりと臥待は泉に入れた。
封印を解くには、術者の血か、体液か、もしくはそれに相当する液体が必要だと習った。
それに相当すると思われる小さな泉の中に、臥待はゆらりと札を沈めていく。
その札から文字が 一つ、二つ、と溶け解れていき、
終には複雑な模様の円が出来上がり、中央に紋が一瞬浮き上がった。
術者特有の紋が浮かぶのが通常なので、臥待の家紋か名に付随する紋のようだった。
そう、蓮華は感じた。
「幾星霜、時が流れても…争いは絶えぬ。同じ事の繰り返しだというのにな」
言葉と、水滴が三人の前に降り注ぎ、泉から解法されたように柔らかな布の波が弧を描いた。
腕も顔も真っ白な中にほんのり桜色をした、それは精霊だった。
どこか寂しげな目を弧にして、千代と蓮華に笑いかける。
それは母のようであり、青年のようでもあった。
若葉色の癖のある、淡く長い髪がふわふわとその動作に揺れた。
「このお方は母子山の傍にある謡谷(うただに)を守る精霊の方だ。移動のためとはいえ、狭いところに申し訳ありませんでした」
いや、と笑う桜海の精霊を二人は唖然として見上げていた。
それに気が付き悪戯心が芽生えたのか、桜海の精霊は二人に問いかける。
「人の子。生まれて初めて見る精霊はどうだ?」
くすりと微笑む桜海の精霊に、二人はただ何度も頷くことしか出来ない。
目が潰れるほどの目映(まばゆ)さ、儚いほどの美しさはやはり人間ではなかった。
それに、とても良い香りがする。
「私には名などない。 同族にも殆ど会わぬ故、愛称などというものもないが…そうだな、 安寧は私を“謡の守”(うたのかみ)と呼ぶ」
吹き抜けるような嫌味のない柔らかい声で桜海の精霊、謡の守は言った。
「臥待。お主には先んじて申したが、そなたたちにも先に言っておく。私は戦いを好まぬ。護ることが私の生来の使命。よほどのことが無いかぎり、何も傷をつけたくない」
謡の守は目を伏せ、傷一つ無い、大層美しい装飾の施された太刀に手を添えた。
煌びやかで、飾りのような刀だというのに、立派で大きな太刀であった。
それを見て臥待と千代は黙ったが、蓮華は口を開いた。
「私もその意見に賛成です。ですが、覚悟はしています。やらなければ、やられるので」
千代が複雑な顔をして蓮華を見るが、謡の守だけはその表情を変えずにそっと歩み寄ってきた。
素足に近い話の謡の守は、まるで体重など無いかのように“ふわり、ふわり”と、苔の上に歩を進めてくる。
そして、やんわりと蓮華の髪に触れ、頬を撫でた。
「己が力量を知らぬわけではあるまい。そなたの使命を果さんとするならば、その命は安いものではなかろう? 醜くとも、敵わぬと思ったら逃げよ。守るものがある者は、生きることこそ勝利だ。戦いは戦う使命の者に委(ゆだ)ねれば良い」
「…それは…蒲公英のことですか?」
びくりと、謡の守の手が止まる。
初めて見せるその厳しい表情に三人は緊張した。
「犬御神。 我が母は確かに、破壊と創造とが出来る誉れ高き神だ。だが、人が好すぎる。臆病で、義理深い。早う呪縛を解き、麒麟の元へ行かねば大変なことになる」
その言葉に臥待と千代は顔を見合わせるが、
蓮華だけは暗い顔をして謡の守を通り越し、竹林の奥を見据えていた。
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…#20へ続く▶▶▶
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