霊視経営コンサルタント。
友野高広の弟子、桜賀和 愛美。
生後2週間の記憶。
度重なる前世、メッセージの夢。
そして一晩にして4,5回見る悪夢。
それにともなう、怨霊以上の霊障…。
桜賀和 愛美が現在に至る道程を
ご紹介させて頂きたいと思います。


 

-----------------------------------
【誕生】
-----------------------------------
11月の雪でも降りそうな新嘗祭の日、夜中の2時に私は生を受けました。

馬小屋のようなぼろい産婦人科でした。

生まれてすぐ取り上げた看護師さんが、どこかに連れて行ってしまって、生まれたばかりの私を母は見ず、五体満足かも分からないままに眠くて寝てしまったそうです。

その当時から私は他の赤ちゃんから比べると違う点が何個かありました。

生まれた時から色が白かったこと、毛がちゃんと生えていてしかも色素が薄かったこと。

そして、生後二週間からの記憶があることです。

---------------------------------------------
【生後2週間の記憶】
---------------------------------------------

このことを精神科に大人になって言った時に、それを話したら怪訝な顔をされたことを覚えています。

お喋りな親戚が集まる祖父母の家で2歳まで暮らすのですが、まだ寝返りもできない頃に

「よし、あらかた言葉は分かり始めてきた。喋ってみよう」

そう思って声を出そうとしたら、上手く舌が動かず、咳込みそうになって

「むむ。まだ無理なようだ。仕方ない。今はまだ諦めるか」

そう思って一度喋ることを断念しました。

その他も様々な記憶があります。
喋っていたことも思い出せます。

それに対して不快感や愉快な気持ちなどを感じたことを覚えています。

お食い初めの時の記憶も大変面白いです。

また食べれないのに食べる真似事をするお祝い「お食い初め」では、ある日突然自分だけ豪華な食事が目の前に置かれ、
同居人に期待を込めた目を向けられ大いに戸惑います。

「食べろという事か?でも、食べるということはしたことがない。あんなものを口から入れてしまったら、どうなってしまうのだろうか?」

恐怖と不安が募る中、いつも面倒をかいがいしくしてくれる人物と認識している母親から箸で口元に魚のほぐした身を押し付けられ

「これではなくあの赤いの(大きなエビが乗ってました)が食べたいのだが!!これは一体どうしたらいいのだろうか?
ええい!!どうにでもなれ!!」

母親は自分の中では信頼できる人物であると認識しているため、口を開いた。が、“はい!おしまーい!!”と、箸を引かれ、興味のあったエビも食べれず、そのお盆は父の前に。

で、結局いつもの食事が出てきて

「何だったんだ今のは!!」

と、立腹と同時に悲しい気持ちになったことを覚えています。

大事な行事なので今となっては良い思い出だと受け入れております。

-----------------------------------
【はじまる】
-----------------------------------

さて、幼稚園に入るまでは私はのびのびと暮らしていました。
誰とも関わることなく、片田舎で兄弟親戚とのんびり遊んでいました。

しかし、幼稚園に入るとなってから急に世界がガラリと変わりました。

幼稚園が何だか分からず、最初は制服を着れて物珍しく楽しかったのですが、幼稚園を見に行ったりした後、制服に袖を通していざ通うとなり、最終の制服チェックを鏡の前でした時。

「はじまる」

そう、強く思ったのです。
何故かは分かりません。

今なら意味が分かります。
楽しい「始まる!」ではありません。

ハジマル。

はじまってしまう。

そんな気持ちでした。
それも、生半可な予感ではなく、かなり強い闇を帯びた言葉でした。

予感通りの事が次々と起こります。

それは先天的な、霊能力だけではない事象も絡み合い、私はその後約30年間、闇の中の闇の底の闇を歩き続けることとなりました。

---------------------------------------------
【悪夢・記憶・臨死】
---------------------------------------------


夢は毎日何個も何個も見て記憶していました。

その全てが地獄の景色でした。

空が黒と赤です。景色も汚れた黒と薄い黒交じりの赤や紫。

そこで、様々な地獄の景色を見続けました。

それを、始めは飛び起きて汗だくで目覚めたものでしたが、徐々に淡々と見るようになりました。
夢は皆そうだと思っていました。

どんなに怖いものが現れても、感情が動かないまでになりました。

とは言っても、生まれたばかりの頃からかなり精神的に成熟していたので、滅多なことでは感情的にはなりませんでしたが…。

左耳だけ寝入りばなに叫び声が聞こえるようになりました。
沢山の人たちの叫び声でした。

それはいつも段々と大きくなるので、鼓膜が破れると思っていました。

大きな虫が現れたこともありました。

テニスボール大の羽虫や、ピンポン玉ぐらいの白い蚊と一晩中戦ったこともあります。

武器はうちわでしたが(笑)
叩き落としてました。

日付時間帯はばらばらですが、夜が更けるごとに幽霊どころではない、怨霊の類や限りなく強い闇の化生のモノが多数やってきたり、呪(じゅ)も経験しました。

一瞬で飲み物の色が変わったり、水が落ちてきたりすることもざらで、写真を撮れば心霊写真が写るなど当たり前すぎて、驚きもしません。

「またか」と言った感じで、むしろネタにとっておきました。

今は勿論ありません。

やはりいい気は発しませんから処分しました。

幽体離脱とは少し違うのですが、霊体が黒い川に毎日流されそうになり、戻ってくるのがかなり大変なのですが、師匠から聞いたところによると、毎日死にかけていたそうです。

現実世界でも影響は出ました。

---------------------------------------------
【どん底からの救済】
---------------------------------------------

仕事、人間関係、金銭関係、家族仲、とにかくあらゆることに影響がありました。

青春が送れないどころではなく、人生がもはやままなりませんでした。

私だけかもしれませんが、人間不思議なものであまりにもどん底になると

「ああ、もう死んでもいいかなぁ」

なんて軽いノリで、危ないことも平気で安全を確認せずにやったりしていました。

それでもしばらく死ねなかった時は、今まで感情があまりなく、妹にもめったに怒らない自分が、あの何の神仏も信じていなかった私が天に向かって、というか何か見えない力に向かって

「いい加減にしろ!!生かしたいのか殺したいのかハッキリさせろ!!」

と、心の中ではありましたがキレました。

人生で初めての「怒り」でした。

すると、その日の夜に今から思えば、お勤めで一番稼げる職場についたのです。

目の前には古い教会の有る職場でした。

神社も近くに沢山ある場所で、そこに行ってからさらに半年もたたないうちに、私は師匠に会うことになったのです。

---------------------------------------------
【本物との出会い】
---------------------------------------------

私が30になった年、母がレイキティーチャーになりました。

それと同時に師匠である友野高広と私は母の伝手で出会うこととなりました。

そこから、人生が一変しました。

毎日死んでもいいと思っていて、でも家族を想うとそれはできず、自然な死ならいいだろうと考えていた矢先。
それでも何かを生きているのだから探そうとしていた時。

師匠に霊視してもらいました。

私は師匠は「本物だ」と思いました。

実は、除霊は他で試して来ていました。
数々の霊能者の方にお金をかけて会っていました。

しかし、表にいらっしゃる本物の少ないことに私は諦めていました。

もちろん見えている方もいらっしゃったのでしょうが、私が求めていた霊能者は高精度で深く見通せる方で、スピリチュアルという軽いものではなく霊視できる、ちゃんと光に繋がっている方で、能力の高い霊能者の方を探していました。

霊感が無いと思っていましたが、何故か本物なのか?どれぐらいの精度の霊能者なのか?が何故か分かったので、落胆も大きかったです。

「多分一生このままだな。不慮の事があっても、孤独に老人ホームに入るにしろお金をためておかないといけないな。どこまでできるか分からないけど」

そう思いながら生きてきた私の1つ時の光明。
地獄に仏。

私の命の恩人が、友野高広でした。

師匠には何度も、この仕事につくまでに助けて頂きました。

---------------------------------------------
【師匠とのエピソード】
---------------------------------------------

こんなエピソードがあります。

とある地域で運転中に地域の名前を見ただけで、急に目の前が焼け野原の過去の古い時代に遡り、その世界と現実が分からなくなり、その苦しみから帰宅しても解放されるどころか酷くなったことがありました。

現実ではない焼ける熱さと、その何とも言えない負の感情のようなものは、夢うつつが分からなくなるほどでした。

それを、師匠の助言と遠隔で事なきを得ました。

忘れもしない2018年7月。私は秋葉原で初めて師匠に出会いました。

会った時から2人とも何だかいぶかしみ合っていたような気がします。

合ったことがあるような感覚と、同類の気配があったのでしょう。

セッションをいつも通り受けようと思って私は驚きました。

彼はまず空間を清浄し始めたのです。
そんな人は初めてでした。

そこから、時間を延長してまで2人で喋りました。

同じレベルの霊能を持つ者同士、そして同じレベルの闇を見てきた者同士でした。

まるで珍獣同士が出会ったような妙な感覚です。

師匠は霊視をするとき上を視ますが、その時目の色が変わるのを見て私は

「これは今までと違うぞ?」

と、見てましたし、目に見えない世界をかなりの深さの話をしたのですが全部分かりました。

師匠もそんな人間が居ると思わなかったみたいで、師匠も私にとても興味深そうだったのを覚えています。

師匠からの提案は2つ。

「レイキを習得しなさい」

というのと

「一緒に仕事をしないか?」

という事でした。

今までの仕事はもう駄目でした。

と、いうよりは私のこの先天的なもので、どんなに何をしてもお勤めは不可能でした。

何十年努力しても駄目だった理由、それは霊能を生かした仕事をしなければならないからということと、先天的なものによる影響がかなり大きかったと今になったら思います。

-----------------------------------
【さいごに】
-----------------------------------

霊の世界、スピリチュアル、神仏。

私は大嫌いでした。

それは先天的なもののせいもありましたが、何がそんなに面白おかしいのか全く分からなかったこともあります。

恐い面を棚に上げて何故喜べるのか?

神様は何もしてくれないし、自分の努力次第ではないのか?

そんなものでどうにかなるなら、世界中皆幸せになってる。

そう思っていたからです。
しかし、今は違います。

先天的なものからの解放と、能力が増すごとに聞こえる様々な光の声、先天的なもので光側の何もかもが遮断されていたのだと気が付きました。

友野高広という恩人との出会い、そこから出会う方々の人生と魂の輝きに毎日驚きと、感謝と、発見と、ありがたさと…生まれ変わったぐらいの心地なのです。

死よりも深い闇から一転、天界に来たかのようです。

世界がこんなに美しいとは知りませんでした。

神様が本当におられたとは知りませんでした。

こんな暖かな人々がいるとは、知りませんでした。

私は知ってから増々日本が好きになり、八百万の神様方が好きになり、人々が好きになりました。

自分が見える事がお役に立つなら、とことんやり切りたい。
そう思っております。

師、友野高広のように、闇の底を歩いていた私を救ってくれたような、そんな存在になりたい。そう強く思っております。

とある光の方から教えて頂いた

「人は宝」

が私の中で強く印象に残っています。

日々是精進。

光だけを見て、これから邁進していきたいと思います。

霊視経営コンサルタント
桜賀和 愛美