#02【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮

 

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#02【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮

 

 

 

蒲公英(ほくよう)の項(うなじ)で束ねた髪を、佐保姫は弄(もてあそ)び始める。
のんびりする佐保姫に蒲公英は尋(たず)ねた。

 

 

「水菜。(みずな)もう会議が終わったわけではないだろう?」

 

 

水菜とは、佐保姫の幼名(ようみょう)でもあり、本名とも言える。

佐保姫というのは継承していく名なので、蒲公英にとってはどうもしっくりこない。

そのため、二人の時だけこうして彼女の名を呼ぶ習慣が蒲公英にはあり、

佐保姫もいつも通りの事に特に気にする事も無く、言う。

 

 

「抜け出してきたのよ」

 

 

驚いて「なぜ」と聞こうと思ったが、蒲公英は止めた。

佐保姫が仕事を中途半端に切り上げる事は無い。

ここにいるには理由があるはずだ。

少しして佐保姫は呟く。

 

 

「蒼鏡(そうけい)の近衛は好きになれないし…」

 

 

近衛は各地の四季の姫と、その地に住まう民を守るために置かれた、城のいわば武士である。

彼らが表沙汰になるほど方々動き回る事は、通常無い。

しかし今回は事が事だけに、きっと姫達の指揮の元活発に動いているのだろう。

 

 

東の青鏡城(そうけいじょう)の者達は他の近衛達と比べ、自らの地の時節(じせつ)の姫に執着している気があった。

蒲公英は青鏡の近衛の実態を見た事は無いが、佐保姫の反応を見る限りかなり酷いと見ていいだろう。

 

 

「会議は進んだ?」

 

 

既(すで)に、蒲公英の決まり文句となりつつあるこの台詞に、佐保姫は「うん」とは言わなかった。

方々から神やその“領域”の者、近衛が集まっている筈なのだが、全く会議は進まないのだと言う。

 

 

この地の者ではない第三者が関わっているのではないだろうか?という意見や、

最近姿を眩(くら)ませた五天布(ごてんふ)の仕業なのでは?などという意見が出ており、

しかし、決定的な証拠も無く、決定打を打てないでいる。

毎日、情報収集に時が溶けていっているのが現状だ。

 

 

五天布というのは、その四季の土地を霊的に守る為に社を構えている、「神」ではなく、「神の領域」と言われる者達の事だ。

 

 

東から、「青春(じょうしゅん)」「白秋(はくしゅう)」「赤夏(せっか)」「黒冬(こくとう)」。

それから、遡る事数千年前から姿を眩ませている「黄中(おうちゅう)」。

神までは達していないものの、それぞれの方角の力をその身に宿している者達だ。

彼らが死ぬときは力を持つものが生まれ、また継承していく。

彼らの敬称の歴史もまた、古いものであった。

 

 

その神の領域にいる五天布の内の一人、春の青春が最近姿を眩ませた。

何故か動機も未だ分からず、籍はそのままに、役職を務める者は不在のまま。

詰まる所、五天布は現在、三人しか確認ができない状態という事になる。

 

 

「全く誰も分からないの。でも、安寧様も何も言わないのよ?…ねえ、蒲公英」

 

 

佐保姫は蒲公英に向き直す。

 

 

「安寧様、どこかお加減でも良くないのかしら?」

 

 

蒲公英は少し暗い顔で、視線を膝の上の手に落とした。

 

 

「…そうかもしれない…と思う時がある。時折、畳の目をまるで数えているかのように黙り込んだり、
怖いお顔をされて部屋に篭(こも)ったりする時間が増えた…気がする。でも、変な事を言うようだけど…」

 

 

蒲公英は一度ためらってから、少し小さな声で言う。

 

 

「昔に比べると…憑き物が落ちたような爽やかさが、ここ近日中にはあるような気がする」
「それは…、どういう事?」

 

 

矛盾しているじゃない!と、佐保姫は笑うが、蒲公英も実際あの雰囲気を何と言って良いか分からず、また考え込んでしまう。

 

すると今度は佐保姫が視線を落とした。

どうしたのかと彼女の方を蒲公英が見ると、少し目を閉じた後に決意をしたように目を開いて、蒲公英の瞳を見てきた。

 

 

「蒲公英。この国の御伽噺(おとぎばなし)を…知ってる?」
「え?御伽噺って言っても…色々あるけど…」
「如月の祝典(きさらぎのしゅくてん)よ。この世界誕生のお話し」

 

 

ああ、そんなものもあったかもしれない。と、

蒲公英はそこまで魅力的な話しではない事に薄い、曖昧な返答をし、花に霞む佐保邸の遠く、白壁を見た。

自分の生誕すら知らないというのに。

しかも、今更赤子でもあるまいし、何の話しをしようと言うのか。

 

 

「私は、これが本当にあった事なんじゃないか、と思っているの」
「まさか!」

 

 

佐保姫の言葉に、蒲公英は笑う。

しかし佐保姫は首を振って蒲公英の手に自らの手を重ねた。

 

 

「…そう思っているのは、私だけじゃないの。安寧様も最近、そう言われているのよ」
「どういうこと?」

 

 

蒲公英が即座位に彼女に問いかけると、彼女はいつもでは見ないような少し深刻な顔をして、呟くように言う。

 

 

「つまり、私達が“地獄の地盤”と呼んでいる地の者が、この異常気象を起こしている可能性があるという事。
安寧様は一つ、その事をご懸念されているの。これだけこの地が乱れている原因がこの地に無いならば…と、
様々なこの土地の資料を各地でひっくり返してみたの。
そしたら、この地と対となるかのような記述の別の地があると、あの御伽噺に辿り着いて…。
各地の伝承や、他にも細々疑わしい現象はあるのだけど…」

 

「安寧様は何て?」

 

「その可能性は“ある”と、一言。それから、地獄の地盤の者がこちらに来るということは、手段も無いので、
今の所まず無いでしょう。引き続き私も警戒をしておきます。と…」

 

 

煮え切らない話しに痺れを切らし、つい主の意見を聞いてしまったが、主の意見ですら曖昧なものであった。

その事に蒲公英は少しの疑念を抱く。

しかし、ハッキリと“地獄の地盤の者が来る手段が無い”と言っているところを見ると、何か知っているような気もする。

 

 

「安寧様がいらっしゃり、冷静に対処して下さる事は、本当に今の唯一の安心ね」

 

 

佐保姫はそう微笑むが、蒲公英は笑えなかった。

この地の者は皆、佐保姫と同じように口を揃える。

 

頼られれば頼られるほど、責任と期待は比例して膨張し、重力を増す。

安寧はいつも変わらない顔をしているが、蒲公英には何故か時折、辛そうに見える気がする。

ただの勝手な思い込みかもしれないが…。

なのでいつも蒲公英は自然と、安寧の顔色をそわそわと窺ってしまう。

 

 

「蒲公英?どうしたの?」

 

 

佐保姫が話すほどに暗く影を落とし、深く考え込む蒲公英に佐保姫が心配げに声をかける。

 

 

「いや…。うん。そうだね。安寧様がいらっしゃれば…大丈夫、だね」

 

 

胸の内が苦しくなる。

どうしようもない不安感と、落ち着かない気持ちに耐え切れず、蒲公英は縁側から腰を上げ、おもむろに立ち上がった。
そろそろ、会議も終わり、安寧が姿を見せる頃だろうという思いもあった。

 

 

と、急に佐保姫が

 

 

 

「…犬…」

 

 

 

と呟いた。

 

唐突なこの場に似つかわしくない言葉に驚き、佐保姫に振り返る。

 

 

佐保姫はどこかを見る彼女の視線を追って、その先を見たが…。

犬どころか誰もおらず、何も変わったところは無かった。

相変わらず、美しい庭園だ。

 

少し辺りを見回した後、訝(いぶか)し気に佐保姫に振り返ると…。

彼女は顔色も悪く、口元を着物の袖で隠しながら、眉根を寄せ、やはりどこかを見ていた。

 

いや、その瞳は、何かを視ていた。

 

 

 

「…水菜…?」

 

「蒲公英…犬に…、心当たりはある?」

 

 

蒲公英は首を振った。

ここ最近犬になど遭遇しなかった。

その単語すら、使った記憶も無い。

 

 

「犬が…、どうかした?」

 

「いえ…。急にその一文が私の頭に浮かんで…。ある一節が流れてきたの…」

 

 

蒲公英は佐保姫に体を向き直ると、彼女は目の焦点を方々にやり、何かを視ながらこう言った。

 

 

「犬、曰く。

己が魂を烈火とし、

己が体を羅刹とし、

森羅万象、百花繚乱の狭間を淡々と生きるべし。

ただし、弱者たる生者の御霊こそ我、我こそ汝也」

 

 

蒲公英は眉根を寄せた。

全く、意味が分からない。

 

 

御伽噺にも無かった話しだが、文体は非常に似ているものがある気がする。

しかし何か、良く分からないが…。

その言葉を聞いた瞬間、蒲公英は背中が「ぞくり」とあわ立った。

 

 

蒲公英は考えあぐね、佐保姫に更に詳しい所を聞こうと彼女を見た。

すると佐保姫は辛そうに顔を顰(しか)めたかと思うと、目を閉じて崩れるようにしてその場に倒れた。

 

 

急な事に驚きつつも、咄嗟に蒲公英は駆け寄ってその体を支えた。

もう少しで縁側の外に落ちてしまうところであった。

 

 

抱え込んだ瞬間、春の姫特有の春の香りがした。

が、華奢な体と正反対に、彼女の着物はとても重く、大きく、蒲公英の体を隠すかと思うほどであった。

 

 

「水菜!?」

 

 

蒲公英が焦ってそう叫ぶ。しかし、彼女はピクリとも動かなかった。

 

一体何が起こったのか?

とにかく、誰かに知らせねばと蒲公英が顔を上げようとした瞬間。

佐保姫の背中にそっと誰かが手を添えたのが見えた。

 

 

知っている香、知っている色の白い手に顔を上げる。

 

 

そこにはいつも通り、ゆったりとした佇まいで膝を屈め、にっこりと蒲公英に微笑む主。

水干(すいかん)に袴姿の麗人、安寧がいた。

 

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#3へ続く▶▶▶

 


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